ウェブ2.0は夢か現実か?

ウェブは世界を変えられると考えると「そんな大げさな…」という印象がある。しかし、考えてもみれば大げさとは言えないのも現実。アメリカ大統領選での民主党の予備選挙でも候補者の支持を得るためにウェブを積極的に利用したり、韓国の大統領選でも世論の何割かはネットでの世論になっていることも事実である。

日本ではこのことには非常に冷ややかで、ようやく今年の初めに一部緩和されたくらいであり、今でも公職選挙法に抵触するところが山ほどある。しかし昨年の参院選や3年前の総選挙ではネットが少なからず活躍していることも確かな話である。ウェブは世論が動いていると言っても過言ではない。

しかしウェブでは様々なことで便利になってはきたものの大きな壁として立ちはだかっているのが「著作権問題」である。本書でも「グーグルニュース」や「録画ネット事件」などが取り上げられているがそれに限らず日本ほど、著作権を叫んでいる国はそうそうない。事実ほかの国では著作権に関して法改正が現在に合うように柔軟にされているのに対し、日本は既得権益を保持するためかいまだに改正されるべき所が改正されていないところが非常に多い。

それを考えるとウェブ2.0の本懐である「共有」が「悪」であると考えている人も多い。現にWinny裁判でもこれだけの証人がいたのにもかかわらずP2Pによる新しいウェブ開発を阻害してしまうような判決が下されてしまうことだってある。またパソコンが増えていくことにより活字離れになるという話さえ聞かれるようになった。私はこれは「嘘話」であると主張したい。

事実、活字離れとなっている証拠は新館の売り上げ部数の低下と新聞の売り上げ部数の低下によるものであり、事実「活字」をどのように定義しているのかでさえサンプリング開始くらいの範囲でしか見ていないことが明白である。活字媒体は増えつつあるということから活字離れというより活字はより読まれていると私は思う。

マスコミやテレビのウェブ化であるがこれ自体が非常に難しい。というのも前述の既得権益の保持もそうであるが、マスコミほど「著作権」に対してうるさいところはないと考える。また、著作物(TV番組)のネット配信(有料も含む)でさえも消極的になっている。これは時のホリエモンのニッポン放送買収問題がもっともな発端である。

これの詳細は本書を見ればわかることであるが、これによりウェブに対して嫌悪になった一つの要因となったことは間違いない。とはいえ現在フジテレビでは「相乗り」など過去の放送を有料配信していることを考えるとわずかではあるが雪解けが進んだのかもしれない。ウェブとTVが共生する時代は果たしてくるのだろうか…。