人権?

差別表現 ブロガーも問われる責任と人権感覚

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080609-00000054-zdn_n-sci

11戦目!!今回はブロガーの人権感覚について語ります。

このような記事であったり、光市母子殺害事件の「人権」感覚であったり、本当の「人権」とは一体何なのかというのが疑わしくなってきました。

当然憲法上「基本的人権の尊重」は明記されております。当然人権がないと殺人起こし放題であり、人間が「もの」として扱われてしまう風潮になってしまうので必要です。

しかし、今の世の中「人権」ということが乱用しているようにしか思えません。少し見てみましょう。

>出版やテレビ業界は、差別表現について、1960年代から人権団体の激しい糾弾を受けてきた。

当時こういうことが起こっていたそうです。これは絶対違うと言い切れません。「テレビ離れ」が進んでいるとはいえTVというのは非常に強い力を持っています。だからでこそTVは表現の仕方には考えなければいけませんし、慎重に行わなければなりません。

ネットにも通じて言えることかもしれませんが、ネットには見る、見ないという「自由」が生じます。TVにも同じ自由があるのではないだろうかというかもしれませんが、少し違います。単独世帯であればその自由が通じますが、配偶者や被扶養者など2人以上の家族となると話が変わります。見たい番組を必ずしも見るわけではないということです。これがネットとTVの違いです。

ネットにも自主規制は設けております。当然2chにもガイドラインがあるので(守られていないところもあるのですが…)、そういう差別や侮蔑表現はある程度シャットアウトされています。

しかしまだ「ある程度」というのが現状ですのでこれについての規制はモラルの向上は必須でしょう。

だが、「人権」という名のもとにそういうことを上げ足を取ってネットを「悪」としている者たちにも問題があります。

なぜかというとそれを「悪」と取り上げられているのはTVメディアや人権関連団体。TVメディアは視聴率を稼ぎ広告収入を維持するための、そして人権関連団体は慈善という名のエゴであると考えてしまうのです。

本当の「人権」とは一体何なのか、憲法の解釈も含め根本的から見直さなければいけない時期に入っているのではないでしょうか。