日本の愛国心

「愛国心(パトリオティズム)」といわれると、日本の戦争的象徴として忌み嫌うものもいれば、どこの国にある当たり前なものと思う人がいる。私は後者に当たるが全くそうとは言い切れない。愛国心を国語的に解体したら単純に「国を愛する心」となる。ではどのようなものが愛国心であるのか、日本人にとって愛国心とは一体何なのか。

著者はそれを「序説的考察」にて解き明かしている。とはいえ著者自身もこの愛国心を語るのは難しいとしている。ただ単純に国を愛する心といえば簡単であるが、本書でも記されているが「ナショナリズム」という概念も孕んでいるのも一節として挙げられる。実際私自身「愛国心」を持っているとはあまり言わない。

というのはこれが一因にあるからである。いまではこれと混同されることが多いが愛国心はナショナリズムよりも遥か昔から存在するので意味としては別個であることも忘れてはならない。私自身は「愛国心」を言うよりもむしろ「郷土愛」と言っている。これについては後で語る。

本書の後半では三島由紀夫や吉田満をはじめ多くの論客や思想家が愛国心について歴史館なども盛り込みながら切り込んでいる。おそらく本書の核となる部分であろう。そもそも日本というのは何の教育も施されることもなく愛国心を持っていた。

しかし戦後の敗戦により従来の教育が解体され、自虐史観という教育が埋め込まれたことにより愛国心とは何なのかという定義が混沌としてしまい、しまいには「ナショナリズム」や「軍国の象徴」という的外れなものが理由づけられ愛国心=悪と形成づけられてしまったと言いようがない。

歴史観というと少し外れるがアメリカの歴史観についても本書では書かれている。ここではイラク戦争に踏み切ったネオコンの歴史観について非常に興味深かった。

さて私が「愛国心」ではなく「郷土愛」という理由だが、私自身も「愛国心」を持っているが、実は自分の生まれ育った地を非常によく愛していることが理由である。私が生まれ育ったのは北海道、しかし先月末に仕事の関係で神奈川に移った。当然悔しかったものの得るものを得て北海道に戻るというきっかけをつくったと言ってもいい。だから北海道のためにいま私は何ができるのかということを私は模索している。

まだ見つからないけれども必ず見つけてみせる。少し話がずれたのでここで話を戻す。もう一つは自分の生まれ育った地、もしくは自分の住んでいる土地の歴史や文化をすべて愛さない限り国を愛することができるのかという疑念から愛国心というよりも郷土愛と呼んでいるのである。

愛国心というのは国を愛せばいいというのは単純であるが、「愛国心」に疑念が生じているからでこそこういう本が出てくるので愛国心というのは何なのかを知るきっかけにもなる1冊ではなかろうか。