創氏改名

「創氏改名」は歴史の教科書ではそれほど出ておらずあまり詳細に書かれてはいなかったものの、日本の植民地教育の象徴的政策の一つとして挙げられている。しかしそこでも歴史認識問題がうごめいているのも事実である。強制的に解明させられたという声もあれば、麻生氏が発言した「強制的ではなく自発的なものであった」という見解に分かれている。さて創氏改名は一体どのように生まれどのように息づいてきていたのか。

「創氏改名」は昭和十四年に2回発令されており、一つは強制(徴令十九号)、もう一つは任意(徴令二十号)であるので、強制的に行われたという意見もあり、自らの遺志で行われたのも一つの意見であろう。大義名分で言えば植民地化による同化政策といわれるかもしれないが、実際は同化政策ではなく「差異化」にあったのだという。これは非常に衝撃的であり、いかに創氏改名が「差別」という力を生じたのかを本書が証明されている。

植民地支配については非常に多くの文献はあるが「創氏改名」に関する文献はそれほど多くない。そういう意味では本書はいかに重要な1冊であるのかがわかった。