ウェブは資本主義を超える

本書を上梓した著者は書評ブログを立ち上げていることでも有名である。私のような若輩者の書評では歯が立たないほど的を射ているすごいブログである。

さて本書は著者のブログを集成したものである。その内容はウェブやマスメディアや経済(学)、著作権、IT産業、通信・放送、国家について多岐にわたっている。章ごとにまとめてみよう。

第1章はウェブ2.0と2ちゃんねるについて言及している。ウェブ2.0については放送や広告の在り方についての変容について書かれている。さらにはウィキペディアに関しては自由に書き込めるということへの批判もなされている。実際にウィキペディアを創立したジミー・ウェールズについての質問もしているほどである。2ちゃんねるについては両義的な意見を持っている。

良い点としては許容量と自由度の高さについてはビジネスマンは学ぶべきであることである。特に議論に関しては誹謗・中傷はあるがTVや新聞と言った既存メディアではできないほど踏み込んだものにできる。さらに双方向性が非常に強く情報を発信したり、逆に議論を深めることによって数倍知識を吸収できるツールになる。

逆に悪い点としては誹謗中傷も自由にできる(ガイドラインは設けてはいるものの形式的なものであるので実際は守られていないことが多い)。それによって被害者の尊厳を傷ついたりして初章にもなったケースもある。2ちゃんねるの管理人であり、ドワンゴの子会社のニワンゴの取締役であるひろゆき(西村博之)氏に対しての損害賠償も後を絶たない。

実際に賠償命令もあったがひろゆき氏が一切支払っていないところも著者は言及している。私はこれについて複雑な立場である。表現の自由と公序良俗の線引きである。法律の解釈上明らかなものとしてはひろゆき氏は賠償すべきではあるがしかしその線引きがあいまいなものについては賠償する必要はないと思うというのにとどまる。

さらに2ちゃんねるは匿名であるが、これも2チャンネルに関してのと同じようになる。しかし匿名性に関する批判もあるし、「匿名=悪」という論調もあるがそれについては内部告発という観点から反論したい。

内部告発は匿名で行える。これは告発者の保護によるものである。もし実名でしか行えなかったとしたら被告発会社はその名前を荒探しを行い、対象の社員には永久に閑職に追いやられたり、不当解雇にされるだけではなく辞職後にもレッテルを張られて非難轟々と言うことになりかねない。そう考えると匿名性がいかに重要なものであるのかがわかる。

第2章はマスメディアの終焉について書かれている。印象的であったのはコンテンツ業界の衰退及びメディアの誇張についてである。コンテンツ産業は業界内の軋轢により新しい技術を取り入れようとするとその利権構造を維持しようとする者たちの妨害によって業界内での成長及び競争原理がほぼ止まっているように思える。そう考えるとコンテンツについての競争力が日本が最もないといわれてもしょうがない。

もし業界内の軋轢が薄く、競争原理が成り立っているのであればTVはもっとおもしろいものになっているはずであるし、報道の在り方についてここまで言及はなされていなかっただろう。著作権についてもここでは書かれているが4章のほうが詳しいためここでは割愛させていただく。さて地球温暖化であるが日本ほどここまで誇張して表現しているメディアはない。

多くのメディアではIPCCで算出された最善予測を取り入れられてはいるものの、日本だけは最悪の事態を予測している。この差は一体何だろうかと思ってしまう。これは民族性によるものなのかそれとも誇張なのかというところはまだまだ突き詰める余地はある。従軍慰安婦についての朝日新聞の偽造についてはまさにその通りとしか言いようがない。

そういった偽造記事をあげつらって韓国や中国、またアメリカも執拗に謝罪要求をかけてくる。本当であれば謝罪すべきではない、朝日は捏造報道を書いていると主張すればいいのに、河野洋平元外相(現衆議院議長)が河野談話を出す、村山富市元首相が村山談話を出したことにより事態はややこしくなってしまっている。

そして新聞離れによる活字離れについても言及している。これは新聞社のエゴとしか言いようがない。確かに新聞の総売り上げ部数は右肩下がりとなってきている。しかしそれを引き起こした要因は新聞に対する質の低下と信頼の欠如によるものではないかと言いたくなる。著者もそれについては疑念を感じており、むしろウェブやメールによって活字に触れる機会と言うのはむしろ増えていると言及している。

新聞のシステムについても言及がなされており、これについてはまさにその通りである。著者も活字文化の危機であると言っているが、「活字離れ」と捉えがちの人もいるかもしれないが、著者はこの活字文化の危機というのは現存の新聞のシステム、さらに活字の文化の変容に出版社は付いていけていないということに対する危機であると私なりの解釈はそう思う。

第3章ではイノベーションについてである。ここで興味深いところは「格差是正は格差を生み出す」と言うところである。日本でも格差問題については深刻な問題としてあげられてはいるもののジニ係数(格差の指標としては一般的にみられる計数。1に近づくほど格差が大きいとされている)で見た限りでは日本は先進国に比べても低い位置にある。そう考えるとまだまだ格差社会とは言えないだろう。

しかも民主党や社民党、共産党が掲げている格差是正は「バラマキ福祉」と断罪している。生活保護の改革が最も格差是正に合理的であると著者は主張している。最近では生活保護の請求が右肩上がりではあるが生活保護の受給額、予算ともども減少している。それについての改善は私はするべきである。

第4章は著作権についてである。ここではウィニー事件と著作権期間延長、そしてネット配信等に関する著作権の在り方について書かれている。わずか21ページではあるがタイムリーなところを出しているため非常に内容が濃い。しかも現在の著作権を見事なまでの開設で体系的になっているところもいい。さてまずはウィニー事件であるが結果論としては有罪判決を受け金子勇被告(私は通称の47氏」と言っているが当人は否定しているという)が罰金を支払うこととなったこの裁判。ここで著作権の在り方についての影を落としている。

というのはファイル交換についての著作権の在り方についてである。日本ではWinnyは原則やってはいけないことになっている。しかしP2Pソフトと言うの決してWinnyだけではない。しかもWinnyみたいなウィルス(暴露ウィルス)が感染し情報を漏えいすることがないソフトまである。これについても取り締まるべきなのかも賛否両論がある。今回はあり方以前に47氏には明らかに著作権に対する挑戦の文言が2ちゃんねるに投稿していた。こう考えると有罪もあり得るという考えもあるが、前述のように47氏=金子勇被告ではない以上情状酌量の余地がある2ちゃんねるは匿名であるので関連性と言うのは明らかにするのは非常に難しい。

著作権期間延長についてだが世界的には70年に延長の風潮があるがこれについては日本独自という観点からまだまだ議論が必要がある。そもそも70年に延ばす必要性があるのかという疑念もある。本書でもあるとおりだれのための著作権延長であるのかというのも考えなくてはならない。それを踏まえたうえでの延長は理由により賛成するし、反対もする。

コンテンツ産業について最大のネックとなっているのは著作権である。特に音楽配信や画像・動画配信については顕著である。特にYouTubeについての著作権の在り方についても判例は法令に関する文言がほとんどない。それについてはまだまだ議論の余地はあるが、著作権自体が時代に逆流するものであってはならない。著作権については本当にWin-Winの関係でなければならず、権利者偏重の法律であっても使用者偏重の法律でもあってはならない。前述のようにそういった例がほとんどないので日本が著作権に関して主導権を握るということが必要であるが、著作利権の構造がある以上無理な話かもしれない。

第5・6章についてはIT産業や通信・放送産業についての現状についてである。特に携帯業界は鎖国状態にある(本書では「パラダイス鎖国」)である。携帯産業は世界的にも遅れているというよりも世界のメーカーが日本に入ってこないこともある。携帯事業については総務省がコントロールとしているため競争原理はある程度成り立ってはいるものの、世界的にみても寡占状態としか言いようがない。これについては政府が動かない限り無理であろう。そして通信と放送の融合であるがこれもまた同じである。

とりわけ放送についてはアメリカでは衛星放送を含めると300以上ある。またインターネットの介入にも積極的であり、競争原理に働くなかで進化をつづけている。しかし日本では衛星放送がそれほど浸透しておらず、しかも地上波では8局しかない(主要局のみで)。しかもこれらはインターネットを敵視していることが非常に多くインターネット事業に踏み込むことはほとんどない。唯一あるとすればフジテレビであろうか。

インターネットを拒否する理由は自然のことであるが、これほどまで過剰なものになる著者は映画産業の繰り返しとなるのかというような文言があった。映画産業も同じような閉鎖的な現象により衰退してしまった過去があった。既得権益のあるTV局がどれだけ緩和できるのかも課題となるのではないだろうか。

第7章は「官治国家の病理」であるがここではITゼネコンについてである。セキュリティの効果はITゼネコンを太らせるという。これには非常に驚いたが、セキュリティが高まっている今を考えると確かにそうかもしれないし、ある意味で自然であると思う。

最後は書評であるが、私自身書評を続けて1年以上たつがやはり質には雲泥の差がある。やはり著者の書評は的を射ているだけではなく非常に簡潔である。私もまだまだであるので見習わなければいけない。

…ここまで書けるくらい興味深い1冊であった。池田氏はすごいと同時に虚を突かれたと思う。私が最も注目しているところばっかり本書で書かれていたのでここまで書くとは思わなかった。