その死に方は、迷惑です

本書は遺言書の作法と重要性についてを中心に死に直面することに向けてもろもろの準備を始めるための1冊である。遺言書と言えば死を目前にして予め遺書を用意するというイメージが強い。昨今高齢社会となっている世の中、遺言書は非常に重要視されそれの公正性を証明するために公証人仲立ちのもとで作成することで公証人市場はだんだん儲かるのではないかと邪推する。

本書が言うには遺言書は老人が大往生するために遺産相続を行うよりも、いつ死ぬか分からない若者や中年層こそ遺言書を書くべきであるという。

万が一に備えて遺産相続など諸々についてのいざこざを未然に解消しましょうということ。確かにその通りかもしれない。もし不慮の事故により遺産相続する時に骨肉の争いにより裁判沙汰になってしまう。

また本書の最後には尊厳死に関しての宣言書について書かれているが、尊厳死について騒がれている今だからでこそ重要視されるのではないかと思う。特に尊厳死に関して自分やその家族が希望していても、医師自身が尊厳死を認めないケースもあり、尊厳死を行ったら批判的にマスコミが騒ぎ、そして倫理学会でも批判の的となってしまうだろう。しかし、いざこの宣言書を公証人を介しても介さずしても法廷の手続きさえ行えばなんてことはない。本人がその旨を宣言しているのだからだれの文句もいいようがないという何よりの証拠になる。

遺言書や尊厳死の宣言書など、死ぬ前関して様々なことはおいてから十分できるという甘い考えよりも、いつ起こるか分からないであろう今まさにやるということを心がけたほうがいい。当然私もその中に入っているが…さてどうしようか。