東京裁判

本日は終戦記念日である。なので大東亜戦争および、それに関連することを今ここで見直したい。

パール判事等東京裁判に関する文献を多く読んできた。ちなみにこの「東京裁判」というのは略称で、正式には「極東国際軍事裁判」という。本書はそれの集大成と言うにふさわしい1冊である。新書ながらページ数も約400ページもあり、いかに膨大な情報からありのままの「東京裁判」を描いている1冊である。それぞれ見ていく。

第1章は「東京裁判をどう見るか」である。まず靖国合祀についてであるが、A級戦犯の中で絞首刑にされたものと獄死したもの14人全員が靖国神社に合祀されている。しかし本書では松岡洋右(外相)と永野修身(海軍元帥)は「戦傷病者遺没者遺族等援護法」により祭神名票に入っていないと書かれている(P.14より)。

議論は紆余曲折となったが結局1970年に上の14人全員が合祀されたという。これが「富田メモ」の禍根の1つと言えようか。本書でもA級戦犯とBC級戦犯の定義の間について書かれていた。よく間違える人も多いがA級だからと言って重罪人であるというのは明らかに短絡的である。実際BC級戦犯も1091人、そのうち東京裁判でも56人が死刑となった。

それにA級戦犯が最大の重罪人であるならばなぜ日本語同時通訳など設備も充実しており弁護人も付けられたのか、被告人陳述も1度きりだがあったというところから問い詰めなければならない。最もBC級戦犯は弁護人もつかず通訳もないため一方的な裁判により死刑になったという人が多い。さらにいったらA級とC級戦犯の定義は事後法となっている。それにより無罪であるというのは1説ではあるもののこれは確実にそうだということとまでには至らない。

しかし東京裁判をはじめとした戦犯に対する裁判自体、法というもので片付けられるとは到底思えない。しかしパール判事をはじめオランダのレーリンク判事、フランスのベルナール判事は国際法学的立場、及び手続きの不備により独自の意見を述べ、さらに無罪判決まで出した。言うまでもないがパール判事はA級戦犯24人全員に無罪判決を下している。

第2章では東京裁判の枠組みと各判事国の思惑にいついて考察されている。前半はニュルンベルク裁判からポツダム宣言についてであるがニュルンベルク裁判では3人の無罪判決が出されているのに対し、東京裁判では全員に有罪判決を出している相違点がある。ここに関する簡素な相違点は人種的な差別が見え隠れするように思えるが、じっさいはそれだけではないような気がするのでそれについての謎については本書で如実には出ていないものの後半のところでその理由が見え隠れする。

後半では各国の思惑と共に天皇訴追論についてアメリカを含めて3国の思惑について書かれている。アメリカは当初は天皇訴追を求めていたが、東京裁判に近づくにあたりマッカーサーは天皇を免訴にしようと考え実行した。結局天皇は免訴することとなった。実際天皇免訴は批判するべき東京裁判の中で唯一評価できる点である。

しかし実際に天皇訴追を強く主張していたのはオーストラリアである。オーストラリアは戦後の発言力を高めたいということ一心だけに天皇訴追を含めて全戦犯に厳罰をしようと画策していた。それに現在に至っても天皇廃止論を主張しようとしていることを考えると、オーストアリアの欲望が露骨に出ているように思える。3つ目はイギリスについてであるが、イギリスは複雑な立場が見えた。日本に対して極刑を求める反面アメリカに対する距離についての複雑な立場があったというのは面白かった。

第3章は連合国が何を告発したかについてであるが、ここで一番気になったのは石原莞爾についてである。石原莞爾は戦後戦犯検挙のときに自分も戦犯であると主張し、検察の尋問にも積極的にかかわってきたが、検察から罪状の追及をことごとく論破したことにより連合国にとって不利になると思いから起訴されなかったと推測する。その代わり満州事変にかかわったもう一人の人物である板垣征四郎を起訴し、絞首刑にしたという思惑もある。

本書では「事件の真相もつかめず、また満州事変時の関東司令官だった本庄繁が自決した状況で、関東軍作戦主任参謀の石原中佐ではなく高級参謀の板垣大佐を重視した。(p.104より)」とされている。つまり満州事変についての日本の過失ができずに満州事変に関連して板垣征四郎を無理やり起訴したというのである。それに連合国は石原莞爾を起訴したら都合が悪いのではないのかと邪推してしまう。

第4章は日本への対応であるが、BC級戦犯と違い東京裁判のA級戦犯の審理では日本人の弁護人だけではなくアメリカの弁護人もついていた。例えば東条英機には清瀬一郎とブルーエットがついた。なぜアメリカ人の弁護人が任命されたのかというと、本書では日本人の要求があったことであるとともにこの裁判の首席判事であるキーナンもそれを想定していたという。これについては日本の裁判のやり方(大陸法)とアメリカのやり方(英米法)と相違があり八百長になる可能性があるという。

これを考えると日本が弁護人とアメリカの弁護人の2人がついた理由もわかるし、日本が英米法による弁護方法を勉強できたいい機会であったのかも知れない。外国の法律知識や弁護法について最も勉強したのはおそらくこの時期ではなかろうか。

第5章は判決はいかにし書かれたかについてだが、これは私が理解したものでは7人による多数決による共同協議により起訴されたA級戦犯全員を有罪にしたという認識が強い。7人に入っていない人を言うと、まずは全員に無罪を出したパール判事、数人に無罪を出したオランダのれーリンク判事、広田弘毅に無罪を出したフランスのベルナール判事、そして共同協議に反対の立場をとったオーストラリアのウェップ判事(裁判長)である。

まさに法的に裁くというものがほとんど感じられず、政治的道具に使われた、もしくは私怨(国怨?)の道具として使われたのもこの裁判かもしれない。唯一法的解釈によったのはパール判事であろうか。

第6章ではなぜ二次裁判が行われなかったのかについて考察している。思えば東京裁判は1度きりである。ニュルンベルク裁判では継続裁判で二次以上行われたのにと考えてしまう。これについてはニュージーランドとイギリスの軋轢があったとされているが私はこれだけではないと考える。実際にこの2・3年後に朝鮮戦争が勃発する。それに対して日本へのさばきにかまけられなくなったのではという考えも捨てきれない。どちらにせよ、外的要因が強かったと結論付けられると考えられる。

第7・8章では戦犯釈放についてである。これについては非常に複雑に入り乱れているがしかしアメリカ はあえて寛容な態度をとることによって反米的な態度を国民に持たないような巧妙さがあったということはあるように思える。

本書は肯定否定問わずにありのままに書くと著者は言っていたが、思想心理というのはありのままに書いていても自分が気付かずに入っていってしまう。これは仕方のないことである。本書でもありのままを書こうとしているが著者自身の思想心理が見え隠れしているところはいくつか見られたものの、前述のとおり仕方のないことである。とはいえ多様な文献から詳細に書かれているため良書と言える。