暴走する「世間」


暴走する「世間」―世間のオキテを解析する (木星叢書) 暴走する「世間」―世間のオキテを解析する (木星叢書)
佐藤 直樹

バジリコ  2008-01-19
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この頃「世間」というものが猛威をふるっている。しかしそれは人々の実感なしに猛威をふるっているだけに非常に厄介な存在である。その最たるものが「KY」をはじめとした「空気」による支配である。それについて本書では2004年の「イラク人質事件」についてのバッシングについて例を挙げている。これについては私自身も「自己責任論」について大きな違和感があった。確かに戦々恐々としている場であるので危険であるが、その人たちによって救われたイラク国民がいたならば日本人はどう反論するのかと問いたくなる。もっと言えばそれによって他国から評価されたとしたならば、その人たちを非難する人はそれらを批判できるのだろうか。
第1章ではその世間を学問にした「世間学」について紹介している。世間学と言えば第一人者なのが故・阿部謹也氏である。あとがきにも書いてあったが阿部教授は一昨年に亡くなった。私自身も阿部教授の文献をいくつか読んだので世間についての勉強もこれからできるのかと思った矢先であったし、それ以前に阿部教授が一昨年に亡くなられていたというのは本書を読むまで分からなかった。この場であるがご冥福をお祈りいたします。
「世間学」というのは何なのかというところから始まるが、社会学といった内容とは少し違って哲学的な部分が多く絡んでいるところがある。それに「世間」というのは世界中にあるわけではなく日本にしかない特有の言葉、もしくは空間であるため外国で「世間」といわれてもほとんどピンとこないというのが実情である。
第2章はいじめについて論じている。これも世間とは大きく関係している。これについてはいじめられる側が悪いやいじめる側が悪いということを論じるわけではなく「なぜいじめが起こるのか」というのを世間学から論考している。日本は世間によって支配されているというが世間の空気になじまない、もしくはなじめない人、異端しているものを嫌悪、もしくは排除する風潮があるというのも一つの要因ではないだろうか。「世間」というのは便利な言葉にあるように思えて、非常に狭い範囲のものになってしまっている。過剰な集団意識によるものではなかろうか。
第3章はうつ病と世間との関係について書かれている。うつ病と言えば世界共通あるが、日本はその表れ方が世界と少し違っているという。本書では日本の患者とドイツの患者を比較しているが、ここの場面が非常に特徴的である。日本のうつ病の特異性というのが表れていると私は思った。最後には現在採用されつつある成果主義にも批判している。そもそもこれ自体外国で採用されている主義であるが、日本でも効果が表れているところとむしろ逆効果になっているところとで両極端になっている事実もある。これについての是非は別の所で述べたい。
第4章では恋愛について。日本では平均結婚の晩婚化が話題となっている。最近では「婚活」と呼ばれるほど結婚に関して飢えているところもあれば、一生結婚しないという人も増えているほどである。また結婚したとしても離婚率の増加、別居率の増加によって恋愛という意義が薄れているように感じる。しかし現在ほど恋愛が自由になったということも事実である。イギリスをはじめとしたヨーロッパ(とりわけ貴族階級)では20世紀に入るまでは結婚というものは非常に形式的でありかつその中で自由な恋愛は許されなかった。日本でも戦後までは自由な恋愛による結婚は許されなかった。必ず付きまとうのは家柄と両家の間柄によるものであった。恋愛が自由であればある程多忙な世の中での夫婦間の淡白さというのが露呈してくると私は思う。そしてもう一つここの章で論じられていたのが男性のマザコン化である。これは戦後女性の地位が確立したものなのか、それとも女性が精神的に強くなったせいなのか、要因自体定かになっていない。本書ではそういったものではなく夫婦関係とリンクして考えている。「夫婦関係の本質は母子関係にある。(p.129より)」という。今夫婦間の中で「亭主関白」が少なくて「カカア天下」や「尻に敷かれる関係」が多いのはこのことだろうか。
第5章は宗教に関することであるが前半は本格的な宗教論であるので割愛させていただく。後半はごく身近にある年間行事の宗教性について書かれている。日本では仏教や神道・キリスト教の神事や習わしが混同しながらも根付いている。中には業界の陰謀とも言われるようなものもあるが(例えばバレンタインデーや恵方巻きがそう)、日本ほど宗教的な意義が混同している国はない。これについて諸外国から不思議がっているが、日本は八百万の神が祀られている。日本は「神々の国」と呼ばれる所以である。つまり宗教に関する寛容性が大いにあることによりこういった混同しても違和感なく受け入れられているのではないだろうかと私は思う。
第6章はIT論である。近年ITの進化によって新たな世間が生まれたとも言われている。それがIT世間というもの。とりわけ代表されるものが2ちゃんねるなどであろう。しかしITができたことによっても世間の構造は変わりないと思っている。むしろその風潮が文字化して形に表れたことであるので何がいけないのだろうかと疑いさえしてしまう。
ほかにもいろいろ論じているが共通して言えるのは世間の構造が変化したのではなく世間自体が形となって表れてそれが顕著に出てきたのではないかと考える。日本独自の「世間」の構造が悪い意味で進化しているのではないだろうか。

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