デリダを読む


デリダを読む デリダを読む
ペネロペ ドイッチャー Penelope Deutscher

富士書店  2008-07
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デリダという人物は私は初めて聞くが、ここでデリダの簡単な説明から行こうと思う。
ジャック・デリダ(本名:ジャッキー・デリダ)は4年前に亡くなったばかりの哲学者である。一般にポスト構造主義の代表的哲学者であるが、その中で現象学から出発してこの学問に行き着くが、現在では有名な哲学者、ハイデッガーはフッサール、ニーチェやフーコーなどの哲学を批判的に展開させ、論争まで起こしたことで知られる。日本でも高橋哲哉などがデリダの研究を行っている。
さてデリダの著作は数多くあるが本書はそういった作品をかいつまみながら紹介している。
本書では政治や文化、ジェンダー、完全性など多岐にわたるが、ビジネスに関してちょっとおもしろい章があったので紹介する。第6章「コミュニケーションのコンテクスト」である。
「私が想起しているすべての事柄は、いわゆる理想的=理念的規範性は正当な理解・解釈について述べる際には、こうした構造的な可能性が考慮されなければならず、それを排除または妨害したりすることはできない(p.83より)」
抜粋しているのであまりよくわからないようになっているが、ここの部分でデリダが主張しているのはどのようなコミュニケーションがあっても齟齬の可能性も視野に入れたほうがいいと論じている。つまり完全なコミュニケーションというのは存在しないということである。もっと言うとデリダはコミュニケーションの失敗はむしろそれも自然なことであるという指摘である。そして著者の開設にも気になるところが、
「データの伝達、コミュニケーション、報告等、物事はより早いスピードで生じているように思われるのだ。デリダは今日に特異な様々なテクノロジーが人造物、すなわち人間の美術工芸が生み出したものと変わりないという事態について考察している。(p.93より)」
「コミュニケーション=美術工芸」などの作品としてとらえられている。当然今日におけるコミュニケーション本が多く出版されているということはその芸術における完成度を高めていくのか、それとも模範的なコミュニケーションを行うべきなのかというはざまに陥ってしまう。哲学的に考えれば前者であるが、ビジネスとして考えれば後者が迎合するだろう。コミュニケーションというのはまだまだ奥が深いというところをまざまざと見せつけられた章であった。

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