「生きづらさ」について

本書は雨宮氏と萱野氏が現在起こっている「生きづらさ」について対談したものである。「生きづらさ」というと本書では貧困(ワーキングプアやプレカリアート)、それによる若者の自殺の増加によるものである。とりわけ雨宮氏はそういった活動をいくつか起こしている。ちなみに途中では「右翼」と「左翼」の定義について対談しているが、巷では「ネトウヨ」など右翼的な論調で書く人もいる。

それとは逆に左翼的論調で書く人もいる。そう考えると現在の論調は「右」か「左」かというのが顕著に表れている。しかも「左翼=売国奴」というイメージが右翼に多いが、少し右翼的な論調で書く私が書くのもおかしいが、右翼的にしろ左翼的にしろどちらにせよ国をどのようにしていきたいという方法が違うだけで、愛国心も国をよくしていきたいという思いはどちらも共通しているというところだけ一つ釘を刺しておく。

ワーキングプアなど現在の若者の貧困事情は深刻を極めている。それに団塊の世代が一線を引いたことにより労働状況が正規・非正規ともに過酷を極めている。さらにインフレも相まって若者がお金を使わないという状況が顕著になった。そういうと上の世代はもっと若者を金を使えと感情的になるが上の世代だって使っていない。

上の世代ほどお金を持っているのにもかかわらず使わず若者に圧力をかけるというのは本末転倒ではなかろうか。使えという意見も経済の硬直化を防止するという観点では約には立つがそれは上の世代がイニシアチブをとらないと意味がないと私は思う。それによって若者世代の貧困も防止し、それで経済的循環がよくなれば一石二鳥ではなかろうか。