「失われた十年」は乗り越えられたか

1990年代前半にバブルが崩壊し、経済は長く減速した。奇しくもバブル時代後期に当時の「エコノミスト」の編集長であったビル・エモットが「日はまた沈む」を発売し、日本はこれから長い不況に陥るだろうと予言したが、まさにその通りの展開となった。それから北海道拓殖銀行や山一証券など大手企業が次々と倒産。

倒産しなくても大規模なリストラにより、失業によって路頭に迷う労働者も急激に増えた。また就職事情も氷河期化してしまい、高校や大学を卒業しても就職できない人も多かった。その人たちは失われた十年を抜けた後も非正規雇用で苦しめられたり、ニートになったり、なってしまったりしている人も出てきた。そういうことから自己責任論で片付ける人もいるようだがそういう背景も考えていただきたいと思う。

さてこの失われた十年は日本の経済や企業全般にとって岐路に立たされた時期であったことには間違いない。その中でも企業経営はコーポレートガバナンス(企業統治)が叫ばれたり、杜撰であった海外労働力の争奪、そしてほぼ無計画に等しいリストラ。さらには保身に走ったようなコスト削減など枚挙に暇がない。当然日本には技術という武器はあるが企業経営に関して誇れるのはほんの数社くらいになってしまったことは悲しい話である。

失われた十年の後に待っていたのはM&Aである。特に敵対的なM&Aに成功したケースは日本では非常に少なく海外の企業は日本は保身に走っていると非難をしている。それが日本の体質だ伝統だといってしまえばそれまでであるが、そこまで迫られているのであればいっそのこと世界を喰ってしまえとも言いたくなるが、今の日本の体質から見るにそうできるように思えるのだろうかという疑いさえ出てくる。

余談であるが、先日リーマン・ブラザーズの倒産により世界中を震撼させた。しかし上武大学大学院の池田信夫教授によれば「失われた十年」にますます似てきたという。私も全くその通りと言いたい。日本では北海道拓殖銀行の破たんと山一証券の倒産があったのだから。そしてそれがそうであれば、おそらく近いうちにアメリカの金融は大再編するだろう。日本で起こった「金融ビッグバン」によく似たように。