誰が教育を殺したか?

学校教育には今も昔も問題は隠されている。しかしここ最近はその問題が深刻化している。学級崩壊やいじめ、さらにモンスター・ペアレントなど教師の側に立ってみれば頭の痛い問題が山積している。教師の側はそれだけではなく文科省や日教組から数多くの事務処理作業を依頼してくる。それにより教師たちは忙殺され、独自の授業を行うというのが難しい状況になる。表題になる「誰が教育を殺したのか」ということを考えると生徒やその親、教師自身も含めたら、文科省や日教組や教育評論家も同罪と言えよう。

さて本書では二部構成で書かれており、第1部では「教育の風景」と題して今の教育現場の現状について書かれており、第2部では著者自身の改革案について書かれている。

今回は第2部について批判的に書いてみる。まずは教育改革についての批判について書かれているが、私自身半分その通りで半分違うと言いたい。教育再生会議において、確かに教育評論家が半数以上いるのは共感できるが、義家弘介といった現場で教育を行った方までいる。その人たちも「楽園」と言えるのだろうか。

教育改革は鶴の一声で効果が表れるのではない。そのことに関してメディアは分かっているのかどうかは分からないが、ただ学力低下を叫んで、国民はバカになったと嘆き叫んでいるようにしか思えない。確かに世界的水準からみても日本の順位は落ちているが、実際学力格差を考えると水準は依然高いままである。ではその高い状態を維持しながら水準を高めていくという教育が重要視されるが、私自身教育改革は藤原和博氏の提案が最適であると私は思う。教師は教えるよりも子供たちの学習意欲をわかせるためのサポート役が子供にとっても幸せであると思う。

最後の12の提言についてだが、学校弁護士制度や研究指定校をなくすこと、私立学校の情報の公開については賛成であるが、教科外科目を教えること、部活動を学校から切り離すこと、については反対である。さらに官僚の学校での研修制度であるが現に行っている所もある。ただそれによって本当に現在の教育事情を把握できるのかというと疑わしい。

教育改革はまだどれが最適なのかというのがいまだに暗中模索の状態である。暗中模索状態であるがその中で様々な提案が提示されそれを実践しながら最良の教育を行うしか方法がない。