統帥権と帝国陸海軍の時代

敗戦後は「統帥権」というのは廃止されたが、大日本帝国憲法下での統帥権は天皇陛下にあった。この統帥権の独立について著者は破滅の道に進んだとしている。実際この統帥権について取り沙汰されたのは日露戦争のことであるが、もっとこれが表面化したのは1930年代のことである。

もともとこの「統帥権」については大日本帝国憲法11条に条文化されていたがそれの解釈や背景にあたり上記のいざこざが見られたという。実際日本国憲法でも「政教分離」や「第9条」による解釈で紛糾しているが、群舞をもっていた大日本帝国でも同じであった。「法治国家」であるが故に、そして法律があるが故に解釈の問題というのは起こり得る。

その解釈の帰着点は存在せず、解釈論が意見につながるだろうと私は考える。最も法学者の多くは判例に基づいて解釈を行っているが、あくまで証拠を述べたに過ぎず、私が法律論を語るのは気が引けるが法律を条文化するにあたり様々な背景などがある。私自身は法律とともにそれが「いかにしてつくられたのか」が私の中では大事になる。実際そこまでさかのぼれば法律はどのようなものかというのが自ずとわかると私は思う。

少し外れてしまったためここで話を戻す。本書の一番最初に出て来るのは司馬遼太郎である。実際「司馬史観」も歴史認識問題に影を落とすことになるがこれは別の本で紹介しているが、本書はその中から特に司馬遼太郎が情熱を注いだという「統帥権」についてである。司馬遼太郎はこの「統帥権」について、

「統帥権がかつての日本をほろぼしたことについて書いている」(p.8より)

「<統帥権>という無限の権能を振り回し、国家を破滅に追い込んだ参謀どもが跳梁した昭和前期の十数年は<日本ではない>ことをあかしだて…」(p.8より)

統帥権こそが日本の軍部を暴走させた諸悪の根源であると司馬遼太郎は断じたのである。しかしこれには語弊があり、前述のように「統帥権」の条文については天皇陛下しか持つことができなかった。それに近いものである例はいくつも存在するが、実際は政治家が軍内部への火に油を注ぐためにけしかけた問題であることも忘れてはならない。例えば「統帥権干犯問題」がその最たる例であろう。

私自身「統帥権」についてはまだあまりよく分かっておらずここではっきりとした感想を述べるのも気が引ける。まだまだ調べる余地があるのではっきりしたうえで自分の意見をつくっていきたいが、軍部と政治の軋轢というのが垣間見えたというのだけははっきりといえる。