姜尚中の青春読書ノート

東京大学大学院教授で政治学者の姜尚中が熊本の野球少年だったときからずっと数多くの書物を読んでいた。本書では夏目漱石やボードレール、丸山眞男、マックス・ウェーバーの作品をピックアップして姜尚中自身の半生を綴っている一冊である。

とりわけ私が衝撃を受けたのはボードレールの「悪の華」についてである。

「愚癡(ぐち)、過失、罪業、吝嗇(りんしょく:「ケチ」ということ)は
 われらの精藭(こころ)を占領し、肉體(にくみ)を苦しめ、
 乞食どもが 虱(しらみ)や螕(だに)を飼ふごとく、
 われらは 愛しき悔恨に餌食を興ふ」(p.65より)

すなわち人間における負の所業や感情は心の中を侵食し、それにより人間としての事前の心を失い、過ちを犯すだろうとボードレールは言っていると私自身はこう解釈する。そう考えると人間の業の深さ、「負」の感情を抱くことのリスクと言うのがよくわかる。
さらにもう一つ

「これぞ倦怠。――眼に思はずも涙を湛へ
 長き烟管(きせる)を燻(くゆ)らせて 断頭壷の夢を見る。
 読者よ、君はこれを知る、この微妙なる怪物を、
 ――偽善の読者、――わが同類、――わが兄弟よ」(p.67より)

倦怠は「微妙なる怪物」とボードレールは定義している。倦怠こそ人としての成長を阻害し、退化に導く。これは人が気付かない間に進行することで「微妙なる怪物」と言う定義がなされたのではないかと推測できる。著者はこの「悪の華」は17歳の時に読まれ、人生の中で最も印象に残った1冊となった。本書を通じて私自身も「悪の華」を読んでみたいという気持ちになった。そして姜氏は読書を通じて政治学者としての道を志し、そして独自の政治スタンスを築いて言ったことであろう。

本(書物、文献)はその人の見識を広め、人生そのものを変える効果をはらんでいる。私は昨年から趣味として読書をはじめ、それをアウトプットするために書評を始めた。ちなみに書評や読書を行うにあたりジャンルを決めていない。ジャンルによって得るものや面白さが違う。私はそれを楽しみたいからである。今年だけでもすでに確認できるだけで600冊以上の本を読んだが、その中で本当にためになったもの、内容が非常にチープで読む気になれなかったもの様々である。当然その中でも自分の考えをがらりと変えたものもある。読書を行うことによってそういう効果もある。自分自身そういうことから(政治や経済的な)スタンスをもしかしたら180度変えることもあり得る。

さらに私自身読書とは「一種の旅」と考えている。目標は当然設定されていない。旅を通じて得られるものは私にはわからない。わからないからでこそ読書と言うのは面白いと自分自身読書を通じて思った。そして姜氏もおそらくそうであったのかもしれない。