となりの神さま

日本は八百万の神が祀られている「神の国」である。その中で宗教性がないと指摘されているが、日本人は自分たちの気付かないところで宗教というのが萌芽している。日本人はひな祭りやハロウィン、クリスマスなどを行い、結婚式は和洋両方行われることだってある(厳密に言ったら神道やキリスト教と言ったところ)。

そして死んだら仏教、またはキリスト教でお葬式を行い神様仏様になる。そうして日本人は他の宗教に寛容的にとらえることができ、多くの宗教が共存できる社会となったのは周知の事実である。先のイラク戦争やベトナム戦争、そして今年のチベット動乱、そしてイスラエル・パレスチナの紛争を考えてほしい。異なる民族もさることながら異なる宗教がいがみ合っている。当然戦争や紛争、虐殺によってたがいを憎しみ合いさらに怒りが増幅し悲しみを起こす。自分たちの国の宗教が第一に考えその他の宗教を排除するということから起こっているのだろう。そうなってしまうと異なる宗教というのは分かりあえなくなってしまう。

ではこう言ったことを相容れられる日本はどうあるべきかと考える。今憲法9条の問題は鳴りを潜めているがいつもくすぶっている。この9条ということも考えなければいけないが自衛隊が海外に派遣し(アメリカの要請というのを無視してでも)、その中で災害派遣のような人道支援を行う。戦禍に巻き込まれた人たちにわずかながらであるが光を持たせる。日本は9条により他の国との交戦は認められない(集団的自衛権のやつがまだ論争中だが)。

その中でも自衛隊というのはわざわざ武器で戦えと言わず戦禍の中で、罪なき民を救うことが可能である。そのことによっての国際貢献というのは私は今の日本だからでこそできると考える。日本に対する行為が増えることによって、過去の戦争の憎しみから和らぎ、そしてこれからの国際社会に大きなリードを得ることが可能になる。こういったアプローチができることこそ日本の強みではなかろうか。