文明開化失われた風俗

「ザンギリ頭を 叩いてみれば 文明開化の 音がする」

明治時代の文明開化を象徴する非常に有名な都都逸(どどいつ:七・七・七・五の音数律で歌われるものであり、江戸時代末期に誕生した)である。

1853年にペリーが浦賀沖に来航したことをきっかけに明治維新への潮流が巻き起こり、その一方で様々な外国文化が日本に入ってきた。とりわけ文明開化の時代では「牛鍋」というのが大流行した。江戸時代まではこういった「肉」を食べる文化というのが根付いておらず、牛や鳥、豚は神から与えられたもの、もしくは共に働く仲間としていたからである。しかし文明開化により新鮮な文化が栄えた反面、日本古来からあった風俗が失われたのもまた然り。

本書は文明開化によって失われた風俗とは一体何なのかについて探っている。この文明開化において禁止されたものもある。刺青や混浴、裸体絵と言ったものから、アイヌ文化にまつわることの諸々まで統制にかけられてしまった。本書では事例研究としてこの北海道における風俗統制について書かれているため今回はここにスポットを当てていく。

繰り返し言うがアイヌ民族の生活は「漁労」や「狩猟」、「採集」が主である。生産性は低い者の自然と共生する文化ということで今ではエコロジーの観点から高い評価を受けている。しかしこの文化も「違式詿違条例(いしきかいいじょうれい:現在で言うところの「軽犯罪法」であるが、地方によってばらつきがある)」により様々な文化が否定され、「和人(本州以南の日本人の呼称)」と同化することを余儀なくされた。上記の文身(これも「いれずみ」という)や混浴のほかにも、アイヌ民族の象徴の一つである耳輪の禁止もその一つとして挙げられている。これ以降アイヌ文化を根付かせること自体が禁止されたが、時代が経つにつれそういった規制が緩和されつつある。

しかし今でも「アイヌ」というだけで差別をしたり、暴力にあったりするというケースが後を絶たない。差別に関しては徹底的に撤廃すべきなのは私自身もそう思う。しかし差別は完全になくならないかというと、まず「無くならない」というしかないだろう。人は自分より優位に見せたがることとして、そして競争原理に勝つ手段として「差別」は存在する。その差別がなくなったらどうなるのか、完全に平等なものとなってしまったらどうなるのか。答えは簡単である。全員が差別意識がなくなり、上昇指向がなくなり、国民が廃れていく。それを解消するために「差別」があるのではないだろうかというのが私の意見である。

話を戻す。伝統文化は復刻しつつあるがしかし過去にこういった文化を否定するようなことがあったことは忘れてはならない。これは政府に謝れというのではなく、過去の過ちとしてこれからそういった差別を起こさないという戒めの意からなるものである。