北方領土交渉秘録―失われた五度の機会

著者の東郷和彦は戦前・戦時中に外務大臣を務めていた東郷茂徳の孫である。祖父の後を追い著者も外交官としてロシアにわたり、数多くの北方領土交渉にあたった。本書はその五度の機会を含めた北方領土交渉を克明に描いたものである。

まず2月7日とは一体何の日なのか知っているか。北海道の人でもこの日はピンとこない人が多い。この日は1981年に「北方領土の日」として定められた日である。来年で28年経つ。この日を北方領土問題について国民の関心と理解を深めるために定められたのだが、これが1855年のこの日に「日露和親条約」が結ばれた日なのである。このときに国境線が惹かれたのがちょうど日本地図の東端の択捉島までが日本の領土としていたからである。

今この北方領土問題は暗礁に乗り上げているが、それ以前に日本人の中で北方領土返還を望む声は果たしているのだろうかという所にも疑問が生じる。もっと言うと北方領土はすでに日本の領土だから交渉する必要がない人が多いのか、それとも各国との関係の軋轢を深めないように北方領土は放棄したほうがいいといるのかというのがよくわからないというのが困りものである。少なくとも北方領土返還に関して政府は早く返還すべきというのは一致していることだろう。しかしその中で「四島一括返還」や「二島分割返還」、あるいは「共同統治」や「面積二等分」と言ったものまで出てきている(ちなみに共産党は、千島まで返還を要求しているという)。ロシアとの関係は天然資源等による経済的な観点から波風立たせたくないという気持ちはわかる。だがそれに気を取られすぎて北方領土のみならず、竹島や尖閣諸島といった領土問題にも言及できない政府、とりわけ外務省の弱腰姿勢のほうがもっと困りものである。

しかし東郷氏は違った。こういった交渉を16年もかけて粘り強く交渉をし続けてきたことには、外交官としての誇りが伝わってくる、と同時にこういった新進気鋭の外交官はほかにいるのだろうかという疑いさえ出てくる。

北方領土問題は竹島、尖閣諸島等の領土問題同様、日本政府に任せっきりばかりではなく、日本全体が束になって「ここは日本の領土だ!」と叫ぶようになれば、韓国や中国、ロシアと同等に渡り合えるのではないだろうか。隣国との関係は良好は至極当然であるが、これはあくまで経済的なことであり、政治的なことになるとどうしても妥協のできないところは妥協してはいけない。しかし日本政府や官僚はしてはいけないところまで妥協してしまう。中国や韓国人の政府関係者はこういったという

「日本は押せば引く民族である」と。

そういったレッテルを貼られている今日本人として、世界と対等と渡り合える民族として恥ずかしくないのかとさえ思ってしまう。竹島や尖閣諸島、北方領土を返還させる思いを持つこと、日本領土に誇りを持つことこそ、真の日本人ではないだろうか。