フェラーリと鉄瓶―一本の線から生まれる「価値あるものづくり」

フェラーリと鉄瓶を比べてみたら、ちがうとしたら値段が月とスッポンほど違う。共通する点はどこにあるだろうと考えてみる。鉄瓶にしてもフェラーリにしても実用的でありかつデザインを良くするために一本の線も妥協を許さないことにある。フェラーリと鉄瓶は一見関係ないように思えるがこういう所で共通点が存在する。それを為すための人がそう、「デザイナー」である。

本書はフェラーリやマセラティなど車をデザインしたデザイナーのみならず、家具やインテリアなど幅広いデザインを手掛けている。これらの肩書で考えればこう言った題目になるのはよくわかる。

前半ではカーデザイナーとしてイタリアに滞在していた時に感じたことなどについて書かれている。イタリア人の本当の性格については本当に驚かされた。イタリア人の陽気さというのは階級社会からきている。この国の階級社会は生きているうちはずっとそういう階級でしか生きられず、下克上など這い上がれる機会は皆無と言っていいほどである。さらに日本と共通するところがあるのが「官僚主義」である。今日本ではこの「官僚主義」を批判することが多いが、イタリアでは半ば諦観気味に見ており、そこからどうでもいい、世の中はこんなものだということを言うのだろう。しかしもっと共通するのは働きものであるということだが、出社時間がフレックスタイムであることなどが違うという。イタリアのことについてはここまでにしておいて車のデザインにしろ、ほかのデザインにしろコミュニケーションがそこに通っているのがイタリアのデザインである。しかし日本ではデザインという言葉を履き違えることが多々ある。デザインというのは奥が深いが、派手なものをつくるよりもシンプルなものをつくるというのが難しいとされているのは文章でも同じことなのかもしれない。

本書はクリエイティブの中からデザイナーの視点からの体験談が満載であったが、フェラーリにしても鉄瓶にしても一本の線で表現する価値は同じである。本も同じことで、読者をいかにして引き込むのかという意味では共通していることかもしれない。文章もまたデザインである。