知を開き 情を養う 国語の底力

近頃は国語力が落ちていると言われている。また出版会で叫ばれている「活字離れ」や「語彙離れ」と言ったものもある。学習指導要領では全体的に授業時間数は増えたが小学校でも英語の授業が始まった。

この状態を見ていると日本語が凋落しつつあるのではという危機感さえ覚える。

さて本書はこの国語力低下を食い止めようと立ち上がった石井勲氏が提唱した「石井式」国語教育について紹介している。この「石井式」は幼稚園児を対象にしている教育であり、その内容はまさに今の日本語教育には欠かせないものであるが、アプローチがまさに型破りである。

序章「漢字が持つ幼児の能力の開発力」
私は想像できなかった。ただでさえ小説などの一般書でもわかりやすいように感じの分量を減らせというようなことを言われている今日、皆さんは三歳児で漢字が読める、五歳で「竹取物語」の原文を(決して「かぐや姫」という絵本ではなく「竹取物語」として)読むと言ったことを想像できただろうか。しかも一人ではなくその園児たちのいるクラス全員が、である。これが「石井式」教育の実績というわけだという。子供に負担が大きいのではと思いがちであるが、子供たちは楽しく読んでいるという。ではこの「石井式」の根源と方法について見ていこう。

第一章「石井勲と石井式漢字教育の創造」
石井勲は大正八年に山梨県で生まれた。生い立ちはここまでにしておいてこの漢字教育が生まれたのは息子が1歳の時であった。当時は終戦間もない時。石井は商工で終戦を迎えたという。そこから帰ってきて、本を読んだ時に息子が自分が教えていないのにもかかわらず漢字を読めたという所から始まったのである。思いもかけないところでこの「石井式」は産声を上げたのである。

第二章「石井勲と國語問題協議會」
戦後、日本の文化は廃れ始めた。その背景にはGHQの押しつけがましい改革があった。日本が戦争できないように9条を盛り込んだ日本国憲法を制定させ、文化でも外国語のものが氾濫するようになった。誤解の内容に言っておくが戦前でも外国語は流行していた。特にジャズ音楽は大正末期から昭和初期にかけてはやったがアメリカとの関係悪化によって検閲をかけられるようになった。事実日本語ばかりではなく今では死語になっている「ハイカラ」のような空気は醸していた。しかし前述のように日英関係の悪化によってそう言った雰囲気はかき消され、世論は開戦ムード一色までになった。
話を戻す。石井は息子の覚えの速さの驚きとともに、戦後の国語破壊に危機感を募らせた。そのことから「國語問題協議會」を設立した。これについては「国語審議会」が非常に詳しい。

第三章「石井勲と幼児漢字教育との出会い」
ここでは「石井式」教育の実践例に追っ取り上げられている。旭幼稚園の取材を取り上げている

第四章「漢字で教える幼児の力」
いまでは幼稚園ばかりではなく「公文」でも「漢字カード」という形で「石井式」は脈々と根付いている。ではなぜ子供はこの国語教育を苦と思わないかというと感受性の強さにあるのではないかというのが私の考えである。外国語教育でも、発音がつきやすいのは5歳までという話を聞いたことがある。それ以上で学んだとしても発音がよくできていても外国人に通じるのかというのは保障できないというようなものである。おそらく漢字もそう言ったところから覚えられるのではと推測できる。

第五章「石井勲の表語文字理論」
第六章「石井勲のことばの思想」
今こそ国語の重要性を叫ばなければいけない時だろう。私も最近日本の古典文学を読むようになったが、難しい表現が多くて読みづらい。しかしだんだん読んでいくうちにその表現が慣れてくる。そこからまた今巷で売っている本を読むと何とも稚拙な表現かとさえ覚えてしまう。日本語は進化しているが、その進化の方向が間違ったところに行こうとしており、退化しているようでならない。原文のまま、もとい現行のままで夏目漱石の作品を読むという本も出ているが、原文のままで個展を読むのは確かに読みづらい。だが慣れていくとその表現にも深みがあって面白いと見出すことができる。今からでも遅くはない。古典を読むべきである。そして難しい感じも見てみるべきである。

終章「土屋秀宇と石井式漢字教育」
国語教育というのは小学校から中学校、高校と受けてきただろうが、実際にこれが日本文学や読書など素養になったのかというのはいまだに疑いがある。カミングアウトとなるが高校までずっと苦手科目だったのが「国語」だった(ただし「漢字」は除く)。そんな私も今となっては読書好きになってしまっている。国語教育ということはもっと見直すべきだろうかと考えてしまう。いっそのこと「石井式」教育にしてみてはと。