日本最初のプラモデル 未知の開発に挑んだ男たち

日本人であればプラモデルというと心をときめかせる人が多いだろう。私もその一人である。この「プラモデル」というのは略語であり、正式には「プラスチックモデルキット」である。正式の名前を言ってもピンとこないので「プラモデル」や「プラモ」と言った略称のほうがいいだろう。プラモデルと言ってもかなり奥が深く食玩のように簡単に組み立てられるものから組み立ててから塗装をするといった本格的なものまである。私は簡単なものしかやらなかったが、プラモデル店にいつも言っていた時には本格的なものの完成物を眺めるのが好きだった。

第1章「その時代とマルサン商店」
本書は昭和33年に「マルサン商店」が国内初のプラモデルを発売した。それまでのストーリーについてがここから書かれている。

第2章「金型を彫った男」
プラモデルの金型を初めて手掛けたのはスモール・シバタこと柴田幹雄の話である。

第3章「売り歩いた男」
今度は売り歩いた男、鈴木甲子夫の話である。本書を読んで印象に残った部分である。今ではパ技術が進歩しており、写真にとってプリントアウトしたリ、パソコンをもってプレゼンテーションというようなことが可能になったが、昔はそうにはいかなかった。移動すると言っても航空機はあったが高くて手が出せず、さらに新幹線も開通する前のことであった。実物をいくつも鞄に詰め電車を乗り継ぐ、ときには寝台列車に乗って売り歩いたという話があった。今のサラリーマンを見てみたら昔の血の滲むような頑張りをしたサラリーマンより弱くなったなという考えもした(そう言う自分もサラリーマンだが)。こういったことがあったからでこそ今の日本があるのかという感謝の思いのした所である。

第4章「組み立て説明図を描いた男」
プラモデルには多くには設計図が書かれており、それ通りに組み立てるという楽しみがある。その設計図を作った男について書かれている。

第5章「プラモデル流行をブーストした男」
プラモデルが出てきてからすぐにブームになったわけではない。
プラモデルブームの火付け役となった番組がある。その名は「陸と海と空」である。その司会者が四代目三遊亭金馬であり、かの「お笑い三人組」の一人である。金馬自身もこの番組でプラモデルに強い興味を示し、今年の3月で傘寿となる今でもサークルでもって続けていらっしゃる方である。この章は金馬なしには語れない。しかしプラモデルと金馬という共通点はプラモデルで噺をするという考えさえ浮かんでしまう。

第6章「時を超えて」
昭和33年で初めてプラモデルが発売されて51年経つ。この時の中でプラモデルの種類は多岐にわたり、もはや子供たち、あるいは大人たちの趣味の一つにまでなった。プラモデルにロマンをかける人も中にはいるほどなのだから、プラモデルにどれほどの力があるのかというのは計り知れない。しかしこれだけは言える。この51年の時を超えてもなおプラモデルがあり続けるということ。「失われた十年」や「原油高の高騰」や「世界恐慌」により多くのプラモデルメーカーが倒産した。それでもなお生き続けている。ファンがいる限りプラモデルの歴史はこれからも続く。