東京フレンチ興亡史 ――日本の西洋料理を支えた料理人たち

本書は東京におけるフランス料理の歴史について書かれている。フランス料理から入るかと思った最初は「ミシュラン東京」をこき下ろしている所から始まっている。私は「ミシュラン東京」については否定的な立場にあるのでなかなか愉快なところであった。本場の「ミシュランガイド」と「ミシュラン東京」を比較しながら書かれている。「ミシュラン東京」を作った会社は本書の主張が行き届いているかどうかにかかっているが。だが私は「ミシュラン東京」には興味がないのでどうでもいい話である。最初に出始めたころには「食品偽装問題」が出てきたので「ミスランガイド」が出てくるのかと勘違いしたほどであるから(失礼しました)。

第一章「黒船来襲から天皇の料理番まで 黎明期を支えた料理人たち」
1853年黒船来襲してから、今までずっと敷いていた鎖国が解かれ次々と海外からの文化が取り入れられた。フランス料理がはじめて伝わったのは定かではない。江戸時代最後の将軍徳川慶喜がアメリカかイギリスかの使者を招いて牛肉かフランス料理を食したということも聞いたことがある。庶民がそう言った料理を食べられるようになったのはご存じのとおり明治時代の文明開化である。

第二章「戦後復興、生き証人が語る昭和を支えた料理人」
洋食は庶民の間でも親しまれた。例えば中村屋というのが非常に有名で戦前にはラース・ビハリ・ボースがかくまってくれたお礼としてのインドカリーは有名である。本書はフランス料理の話なので、話を戻す。戦後復興のために多くのフランス料理人がいたサリー・ワイルは料理人を育成し、「ホテル御三家」のフレンチの根幹となった小野政吉や村上信夫についてがここで書かれている。私はある勉強会に参加するため「帝国ホテル」に行ったことはあるが、残りの「ホテルオークラ」や「ホテルニューオータニ」に入ったことがない。だがこれから行くことがあるかもしれないが、後者の2つホテルがここまで肩を並べていった理由は「帝国ホテル」への対抗心がそうさせた。

第三章「高度経済成長期の料理人たち」
高度経済成長になるとフランス料理が庶民の間にも浸透するようになってきた。この時には本場フランスで修業をしたという料理人が続々と出てき始めた時期である。本場で学び、そこからの技術を取り入れ、自分自身でオリジナルをつくるというのはまずは本場の型を作らなければいけない。そう考えると多額の費用をかけて型をつくり、そして帰るころには型を破り、本場でありながらも独創的なフランス料理ができるという方程式ができる。修行というのはその連続なのかもしれない。

第四章「鉄人たちと新しいフレンチビジネス」

「日本人にしかできない、日本のフランス料理」

これは、下の漫画から出てきた言葉である。

この漫画は中華料理で有名な周富徳の生い立ちについて描かれた作品であるが、その周が料理大会の時にフランス料理代表が作った料理を見てその師匠が発したのがこの言葉である。
それと同時に本章を一つに集約した言葉でもある。

ここでは今人気シェフである石鍋裕、熊谷喜八、三國清三らをピックアップしている。

経済と同じように料理も絶えず進化している。しかし私はフランス料理とは無縁のせいか分からないところの多かった。フランス料理を愉しんでいる人には絶好の一冊なのかもしれない。フランス料理を味や香りで楽しみ、本書を読んでその歴史を味わうことができる。本書はそういった相乗効果があるのだろう。