“自分”のありか

「私はどのような人間か」というのは、よほどの人ではない限りだれでも考えることであろう。「私」というのは当然「自分」のことについて言われているが、ではこの「自分」とは一体何なのか。そのありかとは何なのかというのが哲学的に論考することが多い。本書はその「自分の在りか」を論考しているが、哲学的、時間的、個別的な考えを総合して考察している一冊である。

第1章「自分は自分ではない――自分の普遍性」
「自分探しの旅」というのは今も昔も変わらずある。有名なものでは元サッカー選手の中田英寿であろう。それにならってそう言ったことを考えたり、実行したりする人がいたが、私はあまり感心しなかった。自分探しの旅は自分の足でどこでも旅をすることも一つであるが本を読みながら自分を見つける方法が手っ取り早いと思ったからだ。
それはさておきこの章では自分を、「空間的普遍性」「時間的普遍性」「時空的普遍性」について考察している。
最後に「我思う、故に我あり」とあるが、本書では「我考える、故に我あり」となっていた。私の座右の銘である。

第2章「自分は自分である――自分の個別性」
ここでは個別性を「心身」と「存在」について考察している

第3章「自分は自分ではない、故に自分である――自分の普遍性即個別性」
普遍性と個別性の考察であるが、第1章や第2章よりとっつきやすいので哲学があまりよくわからなかったらこの章以降から呼んだほうがわかりやすい。とはいえ哲学であるので理解できない人であれば3・4章だけ読めばいいかもしれない。
この章では有名な言葉を哲学的な意味から考察している。
「天上天下唯我独尊」…自分の性格とは程遠いもの。元は釈尊を称賛する言葉と言われる仏教言葉であるという。

第4章「<自分>はどこから来てどこへ行くか」
第3章よりももっとわかりやすい所である。まず昨年・一昨年に流行した「千の風になって」という詩、もとの作者は不明であるが2003年に新井満が日本語訳し、2006年紅白歌合戦にテノール歌手の秋川雅史が熱唱し、以降大ブレイクした曲である。それからその歌詞を信じて死ぬときに散骨を希望した人が増えたとか増えなかったとか。

哲学上「自分」を考察をするものは非常に多いというのは当然と言っていいだろう。私は哲学者ではないのだが、ある程度哲学書を読んで思うことなのだが哲学は「自分自身を学ぶ学問」も含まれる。あらゆる概念をあらゆる学説を立て、命題を思考でもって重ねながら主題を突き詰める。突き詰め方も様々である。それゆえかあらゆる学問の中で最もとっつきにくくなっている所以かもしれない。
哲学をかみ砕いて解説し、評することはかなり骨の折れるものである。