クジラは誰のものか

今、それほどでもないが先日にはシー・シェパードが日本の調査捕鯨船を妨害工作をしたという事件があった。当ブログでも昨年末に「日本人とクジラ」でもって共生の在り方を主張してきたが、クジラについての再認識が必要であると考え本書を手に取った。

序章「クジラと人間」
捕鯨問題は日本の食文化にも大きく影響を及ぼすと考えると本書で言う「試金石」というのはまさにその通りであろう。捕鯨問題は環境問題や動物愛護の問題という観点で捉えがちではあるがもっと広げると「文化の問題」でもある。そう考えるととてもナイーブのように思えるが主張するべきところは主張しなくてはいけないということにもなる。

第一章「クジラの浜」
まずは日本における鯨文化のルーツを探っている。私自身こう言ったルーツを見るのは初めてなので少し詳しく取り上げることにする。クジラ文化の歴史は非常に長く、縄文・弥生時代からあるという。その証拠には列島の遺跡の中にクジラの骨の化石がいくつも発掘されており、そのことから捕鯨し、クジラを食していたことが容易に想像できる。それだけではなくクジラの骨を使った道具も発掘されており、いかに古代からクジラと縁が深かったのかというのが見て取れる。

第二章「クジラの経済学」
捕鯨問題を議論するための要素としてそれぞれの地域や文化というのを考慮しなければならないが、いかんせん国際会議の場。それがまかり通らないという理不尽な議論が淘汰されている。しかも「グローバル」や「グローバリゼーション」というように文化の画一性を目論んでいる国もあるように、最初に述べた考慮は先進国から強く主張していかなければ成り立たないというのが現状であろう。
さてクジラというのはあまりに保護されすぎてもマイナスの面があることはご存じだろうか。それはクジラが食べる1日の魚の量である。

「推計であるが、クジラが捕食する魚類は世界全体で年間に2億から5億トン、人間による漁獲量9000万トンを遥かに凌ぐ量であるという」(p.52より)

この記述を見る限り、捕鯨されずに、クジラが野放しにされるとほかの魚を捕ることができず、漁獲量が減少する、日本の魚食文化が薄れ、最悪廃れていってしまうという図式になりかねない。今日では世界的に「日本食」が認知され、さらに中国の経済成長もあり、魚介類の需要量が急速に増したこともあり、捕鯨問題を深刻化させている要因の一つとして挙げられる。
少し話は変わるが、クジラによって日本は様々な恩恵を受けたことは間違いない。というのは明治時代に入るまで仏教の教えにより肉食は禁忌とされてきた。今のように牛肉や豚肉といった動物は食べられなかった。その分重宝されていたのが鯨肉であった。それだけではなく、クジラ油を用いて食糧や農薬などの役割を果たしてきたことから最も効率的に消費できる動物としても挙げられる。

第三章「クジラと日本文化」
クジラは生物学上では「哺乳類」とされているが、知能的に人間であったり、えら呼吸しているから魚であったりとはっきりしない。これ自体でも捕鯨問題の議論の対象になっているのだからある意味ではた迷惑な対象であると私は思う。

第四章「クジラと政治」
クジラ保護をめぐる議論が行われるのがIWCという機関である。このIWCでもって論争がおこなわれているが、反捕鯨国というのはどこの国々であるかというと、アメリカやオーストラリア、EU諸国の一部も反捕鯨国である。日本はというとその逆の捕鯨推進国に属している。捕鯨推進国は日本のように昔から捕鯨文化が栄えていたところもあれば、鯨が主食とされている先住民族の住む北極に近い国々と言ったところなどが挙げられる。本書では反捕鯨国の意見の矛盾を突いている(前述のような先住民族を例にとっている)。

第五章「クジラとコモンズ」
クジラの所有者は誰なのかという所から本章は始まる。なぜそれを問われるのかというと、1994年に遡る。この年に「南極海聖域案」というのが可決された。これは何かというと南極海の周辺での捕鯨を一切禁止するというもの、日本では商業捕鯨は20年前から禁止されているため、クジラを調査するという目的で「調査捕鯨」を行っている。その調査の余剰物でクジラの肉を生産している。前述の案はこう言った「調査捕鯨」ですら禁止されるというものである。反捕鯨国の推進により可決されたがではこのようなことを行うことにより「クジラというのは誰のものなのか」というのが浮き彫りになってくるのは当然であろう。おそらくこう書いていくうちに「反捕鯨国のもの」というのが色濃く出ているようにしか思えない。「反捕鯨国」のエゴによってこう言ったことがまかり通っているという現状でもある。

第六章「クジラと人間の好ましい共存とは」
これまで反捕鯨国のリードにより聖域化や商業捕鯨の禁止などが盛り込まれてきたがそれによる弊害も起っている。前述のようなことばかりではなく、3年前にフェリーがクジラと衝突した事故が起こっている。こう言ったことも言及する必要があるのだが、反捕鯨国はこれについて「フェリーが悪い」という1点張りになる。では過剰というべき保護を行うことにより章題のような「好ましい共存」となっているのかというと、非常に疑わしい。前述のような事件がそれを物語っている。では本当の共存とは一体何なのかという考えだが、これからの捕鯨社会の永遠の課題の1つというほかない。

前に書評したものは「日本とクジラ」の歴史が中心であったが、今回はもう少しニュース性に富んだものである。ニュースで捕鯨に関することから関心を持った人であればこっちから入ったほうがすんなりと捕鯨文化について学ぶことが可能である。

コメント

  1. げんた より:

    >「推計であるが、クジラが捕食する魚類は世界全体で年間に2億から5億トン、人間による漁獲量9000万トンを遥かに凌ぐ量であるという(p.52より)」
    この記述を見る限り、捕鯨されずに、クジラが野放しにされるとほかの魚を捕ることができず、漁獲量が減少する、日本の魚食文化が薄れ、最悪廃れていってしまうという図式になりかねない。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    厳密を期するためにクジラの魚の消費量と人間の漁獲量の比較について、この問題の提起者である日本鯨類研究所の本当の認識はどうなのか探ってみましょう。 同研究所のHPによれば次の通りの表現になっています。
    『鯨類が1年間に世界で食べる餌の量は2.8から5億トンにのぼり、これは、世界の海で人間が獲っている魚の量(9000万トン)の3~6倍にあたります。』
    この短いフレーズは厳密に読まないと誤認に陥ります。 と言うよりも誤認に導かれるのです。
    第一にここで言う『鯨類』は決して『鯨』ではありません。 これには漁業との競合が問題にならないマッコウクジラや主題から外れるイルカ類が含まれています。
    第2にここでは鯨類が食べるとされているのは『餌』であって『魚』ではありません。 ここには
    人間の漁業の標的となっていないオキアミや深海性軟体動物などが含まれています。
    それでは我々のイメージするIWC管轄の大型ヒゲ鯨に限り、対象を『魚』に絞ったらどんな数字になるのでしょうか?
    このキャッチフレーズの踏み台になっている鯨研研究者の論文は次のものです。
    「Competition for food in the ocean. Man and other apical predators. T.Tamura」
    これによれば2.6~5億トンの合計数の積み上げ計算に使われた大型ヒゲ鯨の魚の消費量は毎年1300万トン~2400万トンに過ぎません。
    人間が獲っている魚の量が9000万トンだとすればその14~27%にしか相当しないのです。これが少ないとは必ずしも言えないにしても到底3~6倍などではありません。
    水揚げの際に人間の漁業が廃棄している雑魚の量より少ないのです。
    ご紹介の書物の筆者である秋道氏は鯨研の情報操作に引っ掛かった余りにも多い日本人の一人なのでしょうか。 それとも事情を知りつつ鯨研の片棒を担いでいるのでしょうか?

  2. 蔵前 より:

    >げんたさん。
    コメントありがとうございます。
    >厳密を期するためにクジラの魚の消費量と人間の>漁獲量の比較について、この問題の提起者である>日本鯨類研究所の本当の認識はどうなのか探って>みましょう。 同研究所のHPによれば次の通りの >表現になっています。
    >『鯨類が1年間に世界で食べる餌の量は2.8から>5億トンにのぼり、これは、世界の海で人間が獲 >っている魚の量(9000万トン)の3~6倍にあた>ります。』
    >この短いフレーズは厳密に読まないと誤認に陥り>ます。 と言うよりも誤認に導かれるのです。
    「クジラ」と「鯨類」は確かに違いますね。
    >「Competition for food in the ocean. >Man and other apical predators. >T.Tamura」
    論文読みました。魚の消費量について的を射た統計を行っているのがうかがえます。
    >ご紹介の書物の筆者である秋道氏は鯨研の情報操>作に引っ掛かった余りにも多い日本人の一人なの>でしょうか。 それとも事情を知りつつ鯨研の片>棒を担いでいるのでしょうか?
    最後にはっきりと申し上げておきますが私は前者です。私はまだクジラの文化やクジラに関することについてはまだまだわからないところがたくさんあります。秋道氏が情報操作を行っているといっても私にはよくわかりません。
    私は大学で統計の勉強をしておりましたが、統計の数字は論理的に調べるうえで格好の材料になりますが、その反面、「推計」というものがあり、それでウソをつくというものもいくつかあります。
    私はこの本について率直に述べただけであり、統計的なレトリックに関しては調べていないままでいました。そのことに関してはまだまだ勉強不足でありますが、これからご指摘があればお気軽にお願い申し上げます。

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