風呂と日本人

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風呂と日本人 (文春新書) 風呂と日本人 (文春新書)
筒井 功

文藝春秋  2008-04
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おそらく「風呂」という沐浴文化がある国は非常に少なく、日本はその一つにあるが、宗教性よりも、日課・レジャーの要素が多岐にわたる「風呂」文化があるのは日本ぐらいであろう。今となっては観光として温泉を愉しんだり、家庭でも戦闘、もしくは楽しみや癒しのための入浴剤があるほどである。単に風呂と言っても楽しみ方は人それぞれである。
ではなぜ日本にはこのような「風呂」の文化が栄えたのか、もともと「風呂」の起源は一体何なのか。本書をもとに探っていこうと思う。
第一章「里の石風呂、海辺の石風呂」
まず最初に紹介されるのが香川と愛媛の石風呂についてである。この2か所は写真を見る限りでは風呂というよりも何やら「窯」に見える。「湯」につかる風呂というよりも、どちらかというと「サウナ」という方が難しくないだろう。
第二章「伊勢と豊後の風呂遺構」
今度は三重県の伊勢と大分の豊後に移る。まず日本式サウナのある三重県伊勢市にある「伊勢風呂」が紹介されている。江戸時代において最初の「銭湯」であったという。とはいえまだ湯につかるものではなく、あくまで「蒸し風呂」と言ったところである。余談であるが、この蒸し風呂はまたの名を「小風呂」とも言う(「広辞苑」第六版より)。p.53には第1章・本章及び次章以降に出てくる風呂について図にしてまとめてある。実際にこのページを見て本書の第一章から見ていったほうがすっと頭に残ると思ったのは私だけであろうか。もう一つの豊後があるのは大分県。大分というと別府や湯布院があるように、温泉の都の一つとして有名であろう。豊後の風呂は火を使った熱気浴である。
第三章「文献でたどる日本沐浴史」
さて、ようやく私の知りたい所に入ってきたと言ってもいい。本章は沐浴の歴史についてである。ではこの沐浴はどれほどの歴史があるのかというと「魏志倭人伝」のころまでさかのぼる。「魏志倭人伝」が出たのは3世紀末。今から1700年以上前の作品である。日本では弥生時代の末期にあたる時である。その頃からと考えると沐浴の歴史は非常に深い、と同時に「日本人=風呂」の関連性が切っても切れないものであることが証明される一つの材料となる。ただし本章ではあくまで「沐浴」であり「風呂」ではない。第一・二章、そしてそれ以降にも書かれるとおり蒸し風呂などで汗を出すことを「風呂」と呼んでいた。沐浴は水を頭から浴びたり、身体につかることを意味しており、日本では神道でいう「禊」での清めがこれにあたる。だが仏教の伝来によって俗化したことから、宗教性があるとは決して言えなくなってきたのは間違いない。
ちなみにこの第一・二章で「風呂」をなぜ蒸し風呂などの発汗浴になったかというのが民俗学者の柳田國男の論文「風呂の起源」にて証明していると著者は主張している。
第四章「重原と東大寺再建」
また石風呂の話に戻るのかというかもしれないが、第二章で「次章以降に」という記述があるため結局取り上げざるを得ない。さて次の石風呂はというと山口の野谷という所にある石風呂である。これは(俊乗房)重源が築造したことでも知られている。重源というと鎌倉時代初期に東大寺再建の中心的な役割をしていたところから本章のタイトルがこうなった。
第五章「風呂があった場所についた地名」
「風呂」によって場所がついた地名があるという。しかし著者が認めているが文献や口碑が不足していることから風呂にまつわる地名についても関連性の不明点が多いという所を指摘している。こう言った観点から日本の歴史を見ていくのには、推論を駆使しなければならないという難しさを垣間見た所である
第六章「中世の山城と風呂」
ここでは高知県の風呂地名を歩いたことを記述している。ちなみに場所は高知県土佐市山城である。
第七章「東日本の石風呂」
ずっと西日本ばかり取り上げられてきたが、ここでようやく東日本にスポットが当たることになった。とは言っても関東をすっ飛んで東北、しかも津軽まで行ってしまう。津軽では外ヶ浜の雁風呂を紹介ししている。ほかにも大分の別府にある「鉄輪の蒸し湯」などが挙げられている。
第八章「蒸し風呂から温湯浴へ」
第三章以外、蒸し風呂などの「発汗浴」ばかり取り上げられたが、ようやく温湯浴に入っていく。では一般社会において温湯浴が出たのは江戸時代中期、井原西鶴の「好色一代男」で取り上げられている。その時は風呂とは言わず「湯屋」「湯殿」といって区別されていた。古典落語の世界でも江戸っ子が風呂に入るというのを「湯」という言葉を用いるのがその所以であろう。
第九章「八瀬の窯風呂と朝鮮の汗蒸(ハンジュン)」
窯風呂などの発汗浴や蒸し風呂についてはいろいろと取り上げてきたが最後に取り上げられるのが京都の八瀬という所である。ちなみに千利休もこの八瀬の窯風呂に入ったという。そしてもう一つには朝鮮でも古来あった日本の風呂とそっくりである。「汗蒸(ハンジュン)」といわれる発汗風呂が取り上げられている。
第十章「風呂が来た道」
日本でも朝鮮でもたどってきた道はほとんど同じように思える。というのは日本の風呂の起源は「石風呂」、韓国でも「汗蒸」といわれる発汗風呂がある。発汗による風呂が起源であった。しかしその石風呂の起源は一体どこからきているのか、著者の見解によればシベリアから来た可能性が強いとされている。ロシアには「バーニャ」という蒸し風呂があるのだが、そこから来ているのではないだろうか。さらに拡大するとフィンランドのサウナが起源になるのではということも考えられる。
ごく当たり前にある「風呂」を歴史に紐解いて見てみると面白い。しかしそう言った史料や文献が少ないだけにこう言った文献が出たことは非常に貴重である。風呂について詳しく知りたい方にはお勧めの一冊である。

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