プロフェッショナル進化論 「個人シンクタンク」の時代が始まる

「プロフェッショナル」という言葉は日々進化しているという。著者の田坂広志氏は「個人シンクタンク」の時代が始まるのではないかという見解だ。ではプロフェッショナルはなぜ進化するのか、そもそも「個人シンクタンク」というのは一体何なのかという所を本書をもとにして迫ってみようと思う。

第一部「「個人シンクタンク」の時代が始まる」
いきなり本書の結論から入る。

「これから、すべてのプロフェッショナルは、「個人シンクタンク」へと進化していく。」(p.12より)

シンクタンクというのは「知の集団」であるがこれを個人が運営することになるのだろうと著者は予言している。その背景にあるのが1995年の「インターネット革命」とその10年後、2005年の「Web2.0革命」にあるという。これについてはまず否定することは不可能であろう。ネットワークを介して「知」の共有に成功し、誰しもが様々な「知」を積み上げることができるデータベースを増強させることが容易になった。
さて「個人シンクタンク」へと進化していくと言ったが、この「シンクタンク」の機能を大きく7つに分けられており、

「インテリジェンス力」
「コミュニティ力」
「フォーサイト力」
「ビジョン力」
「コンセプト力」
「メッセージ力」
「ムーブメント力」(p.20より)

が「個人シンクタンク」を築く上で大事なこととされている。
ネット革命により誰でも情報を自由に取り入れることにようになり(情報バリアフリー)、情報を取り入れ方というのが課題となってきた。そこで情報をどのように取り入れたほうがいいのかという戦略について、著者は探求や集中、もしくは師匠と私淑できるサイトがあるといいとしている。世の中には「情報術」というのがごまんとあるがそれを自分が最適にあうものは本よりも自分自身の価値がモノを言うのかもしれない。本書は手法というよりも基本的な手段を提言しているだけであり、こうしたほうがいいということまではいっていないので融通が聞きやすい。
さてネット革命でもう一つもたらされたのが、「個人メディア」を持つことが可能になったことである。「個人メディア」というのは簡単にいえば、ブログ・メルマガ・SNSといったものである。要はアウトプト・ツールのすそが広がったことにより誰でも簡単にいろいろなことを主張したり批判したりすることが可能になったのである。これの弊害などについては第二部で詳しく取り上げられている。
さて、「ネット革命」により情報を自由に、かつ簡単に取り入れられることにより「知識」の価値はおそらく減少しただろう。では「プロフェッショナル」における価値は一体どこにシフトしていったのか。著者によれば、

「言葉で言い表せない智恵」(p.44より)

がモノを言うだろうとしている。智恵は確かに情報を得るだけでは身につかない。身につけた知識や技術をどのようにして結び付かせ、ユニーク、かつ斬新なものに落とし込んでいくのかというのが智恵をつくりだす醍醐味と言っていいだろう。

第二部「「個人シンクタンク」への進化 六つの戦略」
ここでは大きく分けて六つの戦略にしている。ちなみにこれは各話毎に分かれている。

「コンセプト・ベース」の戦略
「パーソナル・メディア」の戦略
「プロフェッショナル・フィールド」の戦略
「アドバイザリー・コミュニティ」の戦略
「ムーブメント・プロジェクト」の戦略
「パーソナリティ・メッセージ」の戦略

そこから枝葉のように細々とした戦略はあるが結構多いのでここでは割愛する。さて第一部でちょっと言及したブログなどの「個人メディア」による批判の弊害についてであるが本書ではこう書かれている。

「「批評」においては、その評者の「人間性」が、恐ろしいほどに出る。」(p.96より)

この言葉に私は衝撃を受けた、と同時にその通りだと考える私がいた。批判のみならず表現自体その人の人間性というのが露呈される。それはたとえ虚飾の多い表現であったとしても言い回し一つでその人それぞれ違ってくる。批評の仕方はその中でも顕著なものであろう。例えば抗議文でも紋切り型であろうとしても本文一つで「売り言葉に買い言葉」の様相にしたり、和解の手立てになったりする。言葉は「諸刃の剣」といわれているが、ネガティブな要素の多い批判こそそれが顕著に出ているからでこそ著者はこの言葉を残したのだろう。

本書はビジネス・パーソン論という位置付けで書かれているのだが、その中で、ウェブの要素が大きいように思えた。しかし「ただのウェブ論」とは一味も二味も違う。

本書は仕事に関してもウェブに関しても、必ず「哲学」を取り入れているように思えたからである。本書は戦略論を具体的に書かれているようにみえて、最初に結論を書いておいてその中で少し落とし込んだ良い意味での「抽象論」になっている。なぜ「良い意味」なのかというと、「哲学」であるが、記述自体が非常にわかりやすく書かれているからである。そう言う意味では「ビジネス・パーソン論」というよりもむしろ「仕事哲学」の教科書という表現の方がむしろいい。