公共空間としてのコンビニ 進化するシステム24時間365日

今やもう当たり前のものとなったコンビニエンスストア(以下、コンビニ)。1974年に東京の江東区にセブンイレブンの1号店が誕生した。それ以前には1971年にココストアとセイコーマートの1号店ができた。コンビニは1971年に誕生したが実質知られるようになったのは74年といっても差支えないが、解釈はココストア・セイコーマート、ファミリーマート(1973年)、セブンイレブンとがあるためどれが本当なのかというのは定かになっていないのが現状である。コンビニの誕生による流通革命についてはプロジェクトXの「日米逆転!コンビニストアーを作った素人たち」で詳しく紹介されているのでここでは割愛する。

本書はコンビニがもたらしたものの中で、食習慣などの生活習慣や商習慣にスポットを当てている。

第1章「コンビニ24時」
もともとコンビニは24時間営業ではなかった。セブンイレブンが最たる例で1974年の開店当時は朝7時から夜の11時まで、ちょうど「セブンイレブン」という名前の由来がそうである。では24時間営業になったのはいつごろかというとその1年後の1975年であるが、どこからやったのかというのは定かではない。
本章ではなぜ24時間営業なのかというよりもコンビニの24時間の流れ、それ以外にも店舗数、売上高の変遷、地方別のコンビニ状況といったところに重きを置いている。章題がこう言うものであったのなら、前のパラグラフの疑問に答えてほしかったところだが。

第2章「なぜコンビニは日本社会に流行るのか」
コンビニ誕生については最初にも述べたとおり諸説あるが、ここでは便宜上、セブンイレブンが誕生した1974年にしておく。というのはセブンイレブンはアメリカの氷屋から発展したコンビニエンスであり、数十年かけて店舗展開をしてきた。日本ではこのコンビニは浸透しないだろうという見解が多かったが、もうすでにセブンイレブンだけでも11,000店以上、ローソンなどすべて合わせると42,000店以上にもなる。当時から見たらこのようになるのは思ってもいなかったことだろう。コンビニが成長した理由として流通的な要素もあるが、ここではサービスの充実、総菜のみならず雑誌、新聞があるばかりではなく、コンビニで預貯金を引き出したりすることが可能になり、銀行振り込みも可能になり、電子マネーも使うことができるようになった。時代とともに新しいサービスができてきており、新しい物好きの日本人はマンネリ化せずにコンビニは生き続けてきている所以である。その反面あらゆることがコンビニを使って解決することができるため、依存しがちになる。モノの豊かさに反比例するかのように心が貧しくなった。

第3章「コンビニが日本社会を変える」
コンビニによって良くも悪くも変化が起きた。食生活でもコンビニのおにぎりや弁当で済ます人も急速に増え、生活習慣の減少する要因の一つになった。ここまでは本章で取り上げられた「悪い面」であるが、ここで取り上げなかったもので最も深刻に思うのが「足るを知る」の欠如である。今では24時間営業により、限りはあるが何でもいつでもモノが手に入るようになった、つまり便利になった。しかし便利というのは弊害が生じる。便利になったことによりできないことをコンビニなどの他の所に依存する。要望・要求するようになる。満足する感覚を失ってしまうというような状況に陥る。また「足るを知る」ことにより、思考の低下も本章で指摘している。こう考えるとコンビニによる功罪というのは大きいように思える。
最初に「良くも悪くも」といったように、日本の産業構造はがらりと変わった。POSシステムの導入や共同配送の流通革命が例にある。

第4章「曲がり角を迎えたコンビニ」
マーケティングでも企業の成長曲線で「成熟期」というのがある。古典文学でいうと「平家物語」の冒頭にある「盛者必衰の理をあらわす」というのもある。急速に成長していった業界でも必ず陰りを見せる時が来る。これはコンビニといえど例外ではない。コンビニも集客は増加しているものの、競争の激化により、閉店する店舗も出てきている。では生き残り、かつ競争に勝つための戦略をどうしているのか、コンビニによって、コンビニの中でも場所による戦略も行い始めている。本章ではコンビニの戦略を紹介している。

第5章「明日のコンビニ、または「暮らしのネットワーク」の拠点」
コンビニは絶えず進化している。その進化の方向は前章でも述べたとおり企業の事情、もしくは地域の事情によって進むベクトルは違ってくる。本章で言う「どことも違う」というのがそれにあたる。

今や日常生活においてコンビニはなくてはならない存在となっているのは紛れ無き事実である。しかしその中で24時間営業など見直すべきところもある。また災害において食料面でコンビニが大いに役立った事例もある。

コンビニはこれからも生き続ける。その中でどのように変貌するのかは誰にもわからない。だがこれだけは言う必要がある。コンビニが本当の意味で「駆け込み寺」になってしまったら日本が「コンビニ国家」となってしまう。便利な響きのように思えるが、安易な選択により取り返しのつかないことになってしまうという弊害が生じる。このまま進めば「コンビニ国家」になってしまうような様相だが、これは何としても避けたい所である。