国定忠治を男にした女侠 菊池徳の一生

国定忠治といえばもうすでに講談や劇で非常に有名な人物として挙げられるようになったが、実際の国定忠治は博徒(賭博を行うものとされているが、無法者、アウトローを呼ぶ場合にも使われる)であり、対立する博徒を次々と殺害、挙句の果てには関所を破った。そのことを咎められ磔にされ壮絶な最期と遂げたという人物である。

しかしこの国定忠治をヒーローとしてよみがえらせた人物がいる。それが本書で紹介される菊池徳である。彼女の活躍なくして今日まで「国定忠治」が語ることができなかったと言っても過言でない。本書はこの菊池徳という人物、そしてどのようにして国定忠治をヒーローに仕立てたのかについて探っている。

Ⅰ.「自儘から自立へ――菊池徳の前半生」
「極道の仁侠」といわれた国定忠治。清水次郎長と並んで代表する侠客として有名である。最初にも言ったが、国定忠治(以下、国定)を有名にさせたのは菊池徳(以下、徳)である。徳が国定を関わったのは殺人などの罪でお縄になり囚われの身となった時からである。徳は鼓舞させるなどして国定に自信をつけさせ壮絶な最期に仕立て上げた。
徳は今の群馬県の茶屋の娘として生まれた。若い時分から茶屋の看板娘として活躍し、その勝ち気でてきぱきと切り盛りする徳は女侠としての素養を自ら育てた。さらに男尊女卑の社会の中では非常に珍しく読み書きも堪能であったという。江戸時代の風潮では考えられない性格と素養を身につけていた反面、それがネックとなり我儘な性格が如実に表れ、トラブルを起こすことが度々あった。

Ⅱ.「国定忠治を男にする――女侠の誕生」
いよいよ国定を男にした所である。国定が処刑された1851年、捕縛されたのは1850年。徳が国定と出会い、激励したのはその辺りになるが、国定とであるのが本章では1846年とされている。ではどんな激励をしたのかというのが当然気にかかる。徳は国定を自分の屋敷に書くまい、岡っ引きなどを追い払いながら守りつづけた。しかし国定は1850年に中風に倒れ、結局とらえられる。同時に徳も囚われの身となったのだが、国定を男にしたという所の本丸にいよいよ入っていっている。
物語で見た国定は当然勇敢に潔く磔の刑を受けたのだが、実際磔の刑を受けたときには完全に怖気づいていたという。これでは面目が丸つぶれとなる徳は潔く死ぬというストーリー立てをきめ細やかにプロデュースしたという。ビジネス書に「仕事はストーリーで動かそう」という本があるのだが、そのヒントとなるのがまさか国定忠治のところにもあるとはと思ってならない。
国定の死後、国定を英雄に仕立てた代償は大きく、財もコネも失ってしまった。

Ⅲ.「女侠の明治維新――徳とその一族」
徳が財もコネを失った後でも、何人かの兵士や志士に便宜を図った。それと同時に村の子女に「女大学」を講じたというような証拠もある。

国定忠治は英雄となって死んでいった。しかしそれは菊池徳がプロデュースしたおかげである。そう考えるともっと賞賛すべきな人物は彼女ではないかさえ思うのだが、人間は美学に伴った者が好きでどうも国定忠治に行く、そのおかげか国定忠治に関する文献は山ほど存在するが菊池徳に関する文献はそれほど多くない。

「ヒーローあれば、裏方あり」

裏方にもスポットライトが当たってもいいのではないかさえ私は本書を読んでそう思った。