ブラバンキッズ・オデッセイ 野庭高校吹奏楽部と中澤忠雄の仕事

節目を迎えるにあたり、これまで書評したものの中から選りすぐりのものを2つ選ぶ。
一つは「蔵前トラック」「蔵前トラックⅡ」を通して最も思い出に残る一冊を、
もう一つは「蔵前トラックⅡ」で一番最初に取り上げたものを再掲して、自ら振り返るということを行う。

企画その1として今回は今までの書評の中から一番思い出に残る一冊を紹介する。
本書は前身の「蔵前トラック」の時、一昨年の秋ごろに書評したものである。
本書はどんな作品なのかと言うと、とある高校の吹奏楽部を取り上げたルポルタージュ作品であるがこの学校自体、2003年に統廃合され学校そのものがなく なった。さらに遡るとこの学校の指揮により幾度も全国大会に進んだ指導者も96年に亡くなった。色々な意味はあるが、今や吹奏楽をやっている人達の間では 「伝説の高校」として崇める人も少なくない。私自身も中学・高校と吹奏楽をやってきた一人なのでこの高校に対する思い入れは強い。本書に出てくる高校は本当の意味で「青春」をしたのだろう。いや、したに違いない。
申し遅れたが本書に出てくる高校は今は無き「神奈川県立野庭(のば)高校(現:神奈川県横浜南陵高校)」そして今や亡き指導者の中澤忠夫と子供たちによるルポルタージュである。

第1章「プロが学校にやってきた」
中澤は82年に吹奏楽部の指導者として迎えられた、その時の野庭高校は地区大会落ちの常連で全国大会など夢のまた夢であった。中澤はこの高校に全国大会出場という夢をかけた。
さて、ちょっとここで閑話休題といく。というのは先ほどから「地区大会」や「全国大会」というような言葉が出るが、このことについてはwikipediaの「全日本吹奏楽コンクール」の項目で詳細に述べられているが、ここでは簡単に紹介する。
吹奏楽コンクールは「地区(予選)大会」「県大会」「支部大会」「全国大会」の4つに分かれる。それぞれ大会で推薦された団体が右の上位の大会に進むことができる。「全国大会」は部門によって分かれるが、中学・高校では東京の「普門館」で行われる。「普門館」は元々宗教団体立正佼成会の施設であるが、中高生の吹奏楽部にとっては「吹奏楽の甲子園」と言われており憧れであり、目標である。私も高校は全国大会に出場したことのある団体で、コンクールには毎年出場したが、1度も普門館のステージを踏む事無く終わった。

第2章「コンクール狂詩曲」
野庭高校は83年に全国大会初出場・初金賞を獲得し、全国大会の常連街道まっしぐらの時についてである。この時の野庭高校ではよくA.リードの曲を取り上げていた。「アルメニアンダンス・パートⅠ」「ハムレットへの音楽」「オセロ」「春の猟犬」というようなタイトルが名を連ねる。
しかし、その街道も長くは続かなかった。

第3章「オーケストラサウンド誕生」
88年に全国大会に出場してから3年もの間出場できないというスランプに巻き込まれていた。とはいえ野庭高校のレベルは落ちたわけではない。暗中模索の時代が続いていた。そのとき中澤はある編曲家に出会い、そこから考えを改め、全く違う曲をコンクールの曲に選んだ。80年代に活躍した音楽とは全く違ったものであるが、全国大会に返り咲いた。
93年には今となってはコンクールの間で大流行の曲であるコダーイ作曲「ハンガリー民謡「くじゃく」による変奏曲」を初演した。

第4章「私たちは決して諦めない」
これ以上ないサウンドを手にした野庭であったが今度は指導者の中澤が胃がんとなり入退院を繰り返した。病床についたり離れたりと繰り返しながらも、指導する態度は変わらなかった。それとは裏腹に病魔は中澤の体を確実に蝕んでいった。

95年、野庭高校自身最後の全国大会もそれは同様であった。しかし、その先生に恩返しをしよう、先生のために「日本一」のサウンドをつくろうという思いがこれ以上ない曲となった。95年、この年の自由曲はレスピーギ作曲の「シバの女王ベルキス」である。下記に動画をリンクした。ニコニコ動画であるためアカウントは必須でありますがぜひご覧ください。上はコンクール時の演奏、下はその約半年後の定期演奏会のものです(21:37掲載)。

第5章「最後まで指導者」
別れは突然やってきた。96年8月、またもう一度全国大会を目指そうと思った矢先に中澤はこの世を去った。

第6章「再結成」
最初にも述べたとおり野庭高校は2003年の統廃合により無くなってしまった。その灯を消さないためにも、そしてあのころの青春を取り戻すためにも、元部員たちは結束し、「ナカザワ・キネン野庭吹奏楽団」というOBバンドを結成した。彼らのみならずこの高校でプロとして、中学校の教師としてまい進している人もたくさんいる。

今回これを思い出の一冊とした理由は、前にも述べたが中学・高校時代は吹奏楽部に所属していた。その中で何度もコンクールに出場した。吹奏楽にのめり込んだ時代はまさに「青春」という言葉で言い表せることができる。本書を読んでそのようなことを思い出すのと同時に、自分自身吹奏楽で学んだことを思い出し実践しようという気概にあふれさせる。
本書はまさに「青春」そのものである。