思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本

よく「コンプライアンス」というのが叫ばれている。確かに法令や倫理を守ることは重要なのだが、時としてこの「遵守」というのが法令よりも広がり、幅が利かなくなる、思考が停止するのではないのかと著者は危惧している。確かに「コンプライアンス」という言葉自体がまかり通っている、悪く言うと「独り歩き」しており、なんでもかんでも「コンプライアンス」であれば企業としてもいいだろうという風潮がある。むしろこういった短絡的な現象により日本が「思考停止」に陥っているのではないかというのが著者の見解である。本書は様々なことについて思考停止になるのではないかと訴える一冊である。

第1章「食の「偽装」「隠蔽」に見る思考停止」
一昨年の1月には不二家、夏場には白い恋人や赤福、さらにはミートホープや比内地鶏、船場吉兆など数々の「食品偽装」というのが発覚した。食品偽装の多くは長年行われてきたことを隠蔽し、この年になって明るみに出たものがほとんどである。トップダウンの組織によることにより上司からの指示・命令により思考停止の組織構造がこの食品偽装を引き起こした要因の一つではないのかという声もある。著者は事実の公表や捜査の観点から思考停止なのではないかと主張している。

第2章「「強度偽装」「データ捏造」をめぐる思考停止」
4年前の秋ごろからは耐震偽装問題が大きな社会問題となりその渦中にあった建設会社社長と一級建築士が逮捕された。さらに昨年の5〜6月には鉄鋼業界での試験データ捏造も社会問題となった。法令遵守をしたと言うが、この偽装があいついているとするならば「コンプライアンス」の本当の意味、広く言っては「法」そのものの意味が問われるのではないだろうか。

第3章「市場経済の混乱を招く経済司法の思考停止」
市場経済というと3年前の1月に起こったライブドア・ショック、村上ファンド、相次ぐ敵対的M&Aとその攻防というのが話題となった。これ自体は法律の抜け穴、そしてそれに関しての規制の甘さが露呈したと言っても過言ではない。経済に関してどれだけ法律が疎かったのかというのは簡単であるが、ではこの経済司法の思考停止を食い止める方法は何なのかという所にも政治をはじめ、国民も考えなくてはならない時期に来たのだろう。

第4章「司法への市民参加をめぐる思考停止」
いよいよ来月21日に裁判員制度がスタートをする。そんな今でも課題が山積しているというのは言うまでもない。危険な考えではあるがいったんやってみて、そこから連続的に法のあり方について軌道修正をかけたほうがいいと考えるが、それ以外にも事前に食い止めるべきところもあり今国会で裁判員法の軌道修正についての論議を期待したい所であるが、裁判員法の在り方自体にもまだまだ意味が分からないところが多い、というよりも国民の我儘という感もぬぐえないというのもある。

というのは数々の刑事事件により感情的になり、「あいつに死刑判決を出したい」という意見が多かったはずが、それが現実味を帯びてきたときには掌を返したかのように「裁判員になりたくない」や「裁判員制度を廃止せよ」という意見が大多数となった。裁判員制度に関しては政治が悪いという意見もあるが、むしろそれについて直前まで反対や賛成といった意見を言おうとしなかった我々国民にも罪があるのではと思う。

第5章「厚生年金記録の「改ざん」問題をめぐる思考停止」
年金記録問題は一昨年の夏ごろから出てきたものである。参院選での歴史的敗北後、安倍改造内閣が発足し、新しく舛添要一が厚生労働大臣に就任し、全力を挙げて取り組むと表明した。それ自体を発見したのは民主党の長妻昭であるが、期間までにすべて解決できたわけでもなく現在ではうやむやになっている状況である。

第6章「思考停止するマスメディア」
私は「思考停止」に陥らせた最大の要因はマスメディアではないだろうかと思う。データのねつ造や現在でも起こっている虚偽報道を是正すればするほど隠蔽体質があらわになってくる。田中眞紀子の言葉を使うと、「日本のマスメディア業界は伏魔殿」というような状態なのかもしれない。

ただマスメディアでも正直に報道している所から、その業界にいても、自らこの事件を取材し、視聴者にいい情報を与えるような正義感を持った人もたくさんいる。しかしそれがつぶされる、もしくはそう言った正義感を喪失させるような組織づくりになっているのではと疑心暗鬼してしまう。

もう一つ問われるべきなのは我々国民であろう。マスメディアの報道にあおられて感情的になり短絡的に何かと決めつけ、最後には掌を返す。マスメディアのピエロと化しておりこれこそ「思考停止の根源」ではないだろうかと考える。

第7章「「遵守」はなぜ思考停止につながるのか」
法律なり規範なり定められている。しかしただ守るだけでいいのだろうか。守るのだから信頼がわくのだが果たして何のため、誰のため、なぜなのかということを「考えた」ことがあるのだろうか。ただし「法律だから」や「規範がそうなっているのだから」というのは理由にはならない。
ただ「遵守すればいい」ということなので結局その真意や理由といったことを考えずに「コンプライアンス」というのをつくる、「思考停止」の状態で法律を守るというのだから危険極まりない。

「思考停止」をどのように脱却すべきなのかというのは答えは一つである。「5W1H」である。
「なに、だれ、いつ、どこ、なぜ、どのように」それを「考える」だけでも違う。どれくらいあるのか分からない答えを自分たちで導き出して、コンプライアンスとは何か、なぜ法を守るのかということを一人一人考える。考えることにより思考停止から脱却できる。

最後に余談であるが今日SMAPのメンバーである草磲剛が逮捕されるという事件が起こった。その時に上武大学の池田信夫教授が自身のブログにおいて「思考停止社会」を絡めてコンプライアンスの過敏性を痛烈に批判していた記事を書かれた。この事件におけるTVや新聞といったメディアの対応もまた「思考停止」に陥っている要因であろう。