感じる道徳―感情の現象学的倫理学

道徳というのは授業で「覚える」、「考える」のではなく、感性によって「感じる」ことにスポットを当てているのが本書の狙いである。タイトルからしてインパクトがあるのだが、感情における「道徳」や「倫理」を考察するというのが斬新で面白い。そもそも「道徳」や「倫理」は理性から来るものであり、自分自身の奥底にある(動物的)感情から「道徳」というのは生まれないと思ったからである。

本書は三部構成ではあるが章建てが少ないので五章構成で解き明かそうと思う。

第一章「共苦――その現象学的分析道徳的意義」
「共苦」というのは、

「他人の苦しみに私が苦を感じる現象」(p.3より)

という。「良心」というべきだろうか、「共有」というべきだろうかはっきりと定義をするのは難しいが、他人の苦しみを見ると自分の感情により、自ら持っている道徳(良心?)に傷つく。そこから自分の苦しみが生まれる。そう言うことから感情ではあるが「道徳」であることが成り立つ(ちなみに本書によると「共苦」と「良心」は違うと主張している)。
「共苦」は不思議ではあるが「感じる道徳」として最も相応しい言葉と言える。

第二章「義務と感情――その実態と解釈」
次は「義務」であるが、国語辞典の意味としてしかわからない私にとってこれが感情に入るのかというと疑わしい部分が多い。というのは感情抜きにしても「義務」というのは発生するものであり、それが道徳に反していても「行わなければならない」ことそのものだからである。
しかし本書ではそこに虚を突いている。義務という知的概念にとらわれる。いわゆる強迫概念によってその義務が支配される。そこに感情が入るというのである。「強迫概念」があることによって自分の意思とは反した感情が出てくることによってそれを守ろうと動いてしまう。「義務」というのは「〜ねばならない」というのがあるため感情になり得るということである。解釈は様々なであるがこの切り口はなかなか面白かった。

第三章「倫理的決断における二つの比喩」
章題にある「二つの比喩」について言うと、これは「ベクトルの比喩」と「天秤の比喩」のことである。

「ベクトルの比喩」…強迫的概念に押されてその中で自分が決断したこと(倫理的決断)をいう
「天秤の比喩」…自分の物差し(天秤)によって判断したものをいう。

簡単に言うとこのような感じになる。

第四章「意志の弱さ」
「意志の弱さ」というのは何なのかというと、自分の意見をはっきりと言えなかったり、決断できなかったりということをイメージする。本章ではこの「意志の弱さ」について「外在」と「内在」の2つの主義について論じている。簡単に説明すると、

「外在主義」…「自分」ではない他の物・事について原因があるということ。
「内在主義」…「自分の判断」や「心の内」そのものにある。どちらかというと自分自身に原因があるということ。

となる。しかし外的要因がるとはいえ「意志の弱さ」は自分に表れている感情にほかならない。

第五章「性格としての徳――その解釈と倫理的意義をめぐって」
人それぞれ違うものの代表として挙げられるのが「性格」であろう。「性格」は個人々々の持っている、「特徴」である。その性格であるが倫理的な意義によって成り立つとすれば、おそらく前章で述べた「外在主義」「内在主義」という定義に行き着く。自分自身の感情によって、あるいは外からの要因により自分の感情を替えながら「性格」をつくっている。

「感情の道徳」なのか「道徳としての感情」なのかはっきりしないところはあるが、自分自身の道徳が自分自身、もしくは他の要素から「感情」を取り込み、そこから自分自身の道徳を築かせているという答えになった。本書は感情にまつわる道徳について考察したものであるが、これほど面白い論考になるとは自分自身これほどとは思わなかった。倫理学についてもっと斬新な研究本を読みたい方には本書を強く勧める。あるいは自分の感情に向き合いたい方にも本書はなかなかいいと思う。