おたくの起源

皆さんは「おたく」ということばをどう受け止めるだろうか。ごく固まってしまったもので言うと「デブでメガネかけていて、それでいて美少女系のアニメや漫画が好き」というイメージであろう。ではこの「おたく」という言葉、イメージはどのようにしてできたのか。本書はその期限を追求した一冊である。

第一章「母体としてのSF」
「おたく」というのを語る前提として避けて通れないのが「SF」である。SFにおける「おたく」が形成されたのは1960〜70年代にかけてのことである。日本では1962年に東京で「第1回SF大会」というのが行われた所から定義はなかったものの、実質的に「おたく」の始まりだったのだろう。
本書では「SFファンダム」など「ファンダム」というのを頻繁に用いられているが特定の趣味の分野に熱心なファンによって形成されたカルチャーを指している。つまり現在の「おたく」というのはまさしく「ファンダム」という意味にぴったりと言える。
SFからアニメにシフトしたかというと、もともとSFにはアニメも含まれており、「ガッチャマン」や「マジンガーZ」というのがある。

第二章「マンガ文化の発展とコミックマーケットの成立」
マンガ文化は戦前からずっと(平安時代からあったという説が有力である)。マンガ文化が顕著に表れ始めたのは戦後、「週刊少年マガジン」や「週刊少年サンデー」が創刊した頃からである(両誌は昨年創刊50周年を迎えた)。
そして漫画を語る上で、なくてはならないもの「コミックマーケット」であるが本書では起源となる「日本漫画大会」が取り上げられている。全共闘世代(団塊の世代)の影響が強く、反体制の告発があった。なぜかというと講演や賞の選定などの偏重、そして主催者側の強権もあったことによる反発からきているという。
コミックマーケット創始者のひとりで第二代代表を務めた米澤嘉博(故人)の漫画・コミックマーケットに対する思想もこのことがきっかけとなっているのではないだろうか。

第三章「特撮・アニメファンダムの形成と商業メディアの成立」
再び歴史に戻ったように思えるが、第一章ではSFに関してであるが、ここでは特撮、とアニメに関してである。
特撮というと「ウルトラマン」や「仮面ライダー」というイメージが強く最近では、「○○レンジャー」というのがあるが、本書ではちょっと前まで代表的だった「ゴジラ」などの怪獣の特撮について取り上げられている。
アニメファンダムについては今更取り上げるまでもないので割愛させていただく。
本章では「アニメジャーナリズム」についても取り上げている。現在では「アニメージュ」や「Newtype」、「アニメディア」のようなアニメ雑誌の歴史や意義についても書かれている所が斬新な感じがした。

第四章「おたくの誕生」
これまではアニメやSF、特撮の歴史について取り上げてきたが、いよいよ「おたく」の登場である。
「おたく」という名が表舞台に出てきたのは1983年にコラムニストの中森明夫が「漫画ブリッコ」誌上で「「おたく」の研究」というのを取り上げ、話題となった。当時は否定的に扱われ、オタクバッシングの引き金の一つとなった。
本章を語るにあたって岡田斗司夫の存在は切っても切れない。「DAICON3」や「愛國戰隊大日本」、「ガイナックス」というのがあるのだから。
それ以外にも「マクロス」や「ガンダム」などによるSFかアニメかという論争も本書では取り上げている。
ちょうど「おたく」と呼ばれたばかりのころであるが、そう言った分野の荒々しい胎動であったということが本章でも見てとれる。

終章「現在に響くもの」
あれから25年以上たったが、今となっては「ジャパン・クール」と言われ、称賛の的となっているのは言うまでもない。「おたく」という単語も呼ばれ始めた頃から約15年程の間、差別用語として扱われてきた。特に「宮崎勤事件」前後が顕著であった。今となっては掌を返したかのように肯定的に扱われている。
本書は「おたく」の根源について考察した一冊であるが、真新しいものがほとんどなく、むしろ今まで書評の中で定義し続けてきたものをさらに掘り下げたという部類であった。
とはいえアニメ雑誌の意義と歴史を取り上げた所に新鮮味を覚えた。欲を言えば「マクロス」と「ガンダム」による影響についてもっと詳しく取り上げてほしかったというのが感想である。