書評の思想

私は「蔵前トラック」「蔵前トラックⅡ」の2つのブログにおいて、約700冊近く書評を行ってきた。
いろいろ思うことで、

「書評はどうして生まれたのか」
「書評は何のためにあるのか」
「もしも書評がなかったとしたらどうなるのか」

という問いは、書評を書いている途中に時々考えてしまうことである。
書評の起源は新聞や評論と同じく18世紀イギリスのコーヒーハウスと考えられる。コーヒーハウスに通う人々が様々な議論を行う。その中に本についての議論があるということから書評は生まれたのではないかと思う。

ちなみに本書では、ヘーゲル書評の第一人者である、アレクサンドル・コジェーヴが最初の書評、いわゆる「批評本」の原点ではないかという。そう考えると評論やマス・メディアよりも比較的新しい分野であると考えられ、今日日本で専門の「書評家」と呼ばれる人が少ないというのも理由にはなる。
本書は哲学者で文芸評論家の宇波彰氏の書評集であるが、哲学者のせいか、哲学関連の本にウェイトを占めているようだ。「想い出のブックカフェ」の書評において、
「書評はノートブックに等しく、データベースの一種である(p.331より抜粋)」
といわれているが、この命題はほぼ合致していると考えられる。

第一章「思想の領域」
「哲学者」というだけあって非常に多く、54冊の書評を掲載している。
特に多いのがヘーゲルに関するもの、デカルトフロイトといったものが続く。
本についても批判的に取り上げられているばかりではなく、それぞれの本からどのように考察していったかのいきさつや参考にした内容も取り上げている。
本章で取り上げた本もさることながら一石二鳥の内容であった。

第二章「無意識の世界」
ここでは少なく11冊であるが、中身はフロイト、フーコーといったものがある。
「無意識」というと「精神的」な観点で語られるため、どちらかというと「精神分析」の範疇にはいることからフロイトやジャック・ラカンという本の書評をしながらも、自ら考えだす「無意識」についても考察している。1冊毎ではあるが、地続きのように展開されているところが面白い。

第三章「言語・記号の世界」
ここの章では12冊取り上げられている。
著者の前書に「記号的理性批判―批判的知性の構築に向けて」というのがあるためか、批判する内容も非常に掘り下げられたところから抉り出しているものとなっている。

第四章「歴史の時間」
歴史と一纏まりにするだけでも、幅は非常に広く、かなりの労力を要する。それだけあってか、本章では38冊、それだけではなく日本世界、から古代・中世・近代・現代に至るまでほぼ全範囲の本を書評している。
特に印象的だったのが「日本の都市は海からつくられた」という一冊の紹介である。タイトルからして「読みたい」という印象をもつが、著者の書評がそれを増長させるように作られているところが凄い。

第五章「文芸・美術」
日本における書評、特に雑誌や新聞で取り上げる書評の半数以上が文芸作品である。もっと言うとそれを書評するのはほとんど「文芸評論家」といった評論家か「大学教授」といった学者に限られる。そのことあってか本章では52冊取り上げられている。
そしてもう一つ挙げられるのが邦人の文芸書は表現の仕方が、悪い意味で「生真面目」の傾向が強く、評論家の間での評価が低い作品が多く、本書でもあまり取り上げられていない。それに引き換え海外からの文芸作品は散文的な内容の中から事細かなくすぐりがあるために評価が高くなる傾向にあるのかもしれないと、本章を読んでみて思った。

本書は著者が過去数十年にわたって行ってきた書評をまとめたものであり、そのほとんどが初出のため現在では売られているのかどうかわからない作品も多い。
本書は「書評の勉強」の糧になる一冊であはあるが、前述から絶版になっている可能性のあるものもあるため、本書を読んで取り上げられた本を購入するというのはちょっと難しいのかもしれない。

スポンサーリンク