精神障害者をどう裁くか

昨月の21日から始まった裁判員制度であるが、まだ適用された裁判の中で目立ったものはないものの、これから裁判員制度の廃止の可能性も含めて議論を深めていかなければいけない。
裁判員制度に限らず刑事裁判で非常に難しいことの一つとして「刑法39条」に絡んだ「精神鑑定」というのがある。とりわけ少年事件ではその「精神鑑定」の在り方について波紋を呼び、論議も呼んでいる。
本書は裁判員制度も含めた精神障害者の裁判ということについて考察を行っている。

第一章「刑法三九条――「心神喪失」犯罪とは」
刑法39条にはこう条文化されている。
①「心神喪失者の行為は、罰しない。」
②「心神耗弱(こうじゃく)者の行為は、その刑を減軽する。」

刑法39条にまつわる判例はいくつも存在しており、特に精神鑑定や酩酊状態にまつわることについて適用される法律である。
凶悪犯罪や少年犯罪の時に精神鑑定について「責任能力」というのが論議を呼んだときに行われるが、はたしてこの「精神鑑定」の必要性も論議の的である。

第二章「精神障害者はどう扱われてきたか?」
ここでは精神障害者の「刑罰」についての歴史について書かれている。精神障害者として責任能力の有無によって刑の減免が左右されるというのは紀元前、ギリシャやローマでも行われていた。日本でも奈良時代では心神耗弱などでは減刑措置があったという。
戦後「人権」というのが尊重され始めたからこういった「刑法39条」が存在したという声もあるが上記の歴史からその意見は成り立たないというのが分かる。
しかしそういった歴史があるから「刑法39条」は存廃に影響があるというのは別問題ではある。とはいえ歴史から学ぶべきこともある。

第三章「「座敷牢」から「病院任せ」の時代へ」
精神障害者の扱われ方のその2であるが、第二章では刑罰の在り方に対し、ここでは精神障害者自身の扱われ方についてである。
江戸時代については第二章の刑罰についてのところで取り上げられていたが、「気違」や「狂」というように言われていた。ただし刑罰以外の処遇については書かれていなかった。
本章では明治時代と戦後以降の間であるのでそれほど深くはない。とはいえど戦前・戦後とで扱いが大きく分かれているのは興味深かった。

第四章「池田小事件と「医療観察法」の誕生」
精神障害の在り方について戦後から数十年間、ほとんど手を打ってこなかった。そのつけが「附属池田小事件」になって返ってきた。この事件については「人格障害」というのが叫ばれたが、犯人自身が装ったという。すでに犯人は2004年に死刑執行されたものの少年犯罪や精神障害に関して大きな傷跡を残したままである。

第五章「刑法三九条に対する批判」
少年事件や凶悪事件で起こるたび、精神鑑定というのが取り上げられる。そのたびに「刑法39条」撤廃を叫ぶ声が被害者感情とともにある。精神障害が認められ、減軽もしくは釈放され、社会の中に戻った時に再版されるのではないかという不安も当然ある。
私も「光市母子殺害事件」でもちきりになった時にも「刑法39条」についていろいろと調べたが、結局結論は見つからなかった(もともと廃止した方がいいという考えだったが、明確な理由がなかった)。

第六章「裁判員制度と精神鑑定」
現在の裁判員制度では精神鑑定もかかるような事例はまずない。というのは現存の刑事裁判でも定義が揺れており、判例も疎らであるため、判決に際しても大きく揺れるというのが必至だからである。前述の事例は早くても数年先になるかもしれないが、シビアな例なためおそらくやってこないだろうというのが私の考えである。

「21世紀は「心の世紀」」というがごとく、精神的に病む人も多い。精神的な病により犯罪を犯すという人も少なくないことを考えると精神医学の進歩や刑法39条の定義について迅速に、かつ深い議論を行うことが急務であるのは間違いない。精神障害者の裁き方についての問題点が的を射ており、これからどうするのかの判断材料としては格好の材料となる一冊であった。