迷走する資本主義 –ポスト産業社会についての3つのレッスン

これまで多くの国が「資本主義」によって経済を支えてきた。しかしその資本主義は決して安定したものではなかった80年前の世界恐慌でも「社会主義」や「共産主義」といったイデオロギーが隆盛し、のちの第二次世界大戦や冷戦にも影響を及ぼした。

2008年末から始まった「100年に一度の恐慌」といわれるものはこの「資本主義」の在り方にどう影響を及ぼすのか、ポスト資本主義、ポスト産業社会として何があるのだろうか、なぜ「資本主義」は迷走をするのだろうか、それを本書が解き明かしている。

レッスン1「急変の時代」
昨年の秋ごろから景気は急速に減退した。「かつての世界恐慌と同じ」というような意見をもつ人もいるかもしれないが、そもそも社会の仕組み自体が違っている。たとえば今日では「web2.0」と呼ばれるに久しいが、ウェブの発展に伴い情報の飛び交うスピードが飛躍的に速くなったこともまた急速に経済が減退した要因の一つのように思える。

レッスン2「新たな経済と世界――グローバリゼーション」
次は新たな経済の在り方についての考察である。
ここではグローバリゼーションということが言われている。
よくTVの討論番組や社会本では「グローバリゼーション」といわれているが果たして何なのかということをちょっと解説した方がいいだろう。
「グローバリゼーション」は直訳したら「地球規模」となる。国立国語研究所の言い換え案では「地球規模化」という表現にした方がいいとしている。私としてはこの案で賛成である。というのも「地球規模」によって手を取り合って平和を気付きあげていこう、協力をしていこうというものである。経済のスタイルもまた手を取り合っていこうというのがこの「グローバリゼーション」の考えからである。
本書では19世紀にも「グローバリゼーション」というのが存在したといわれており、今日のそれと一緒という考えをもっているようである。ただ私の稚拙な歴史観でぬぐえない点があるのは19世紀というと欧米列強の時代である。欧米諸国の弱肉強食の論理によるものが非常に強い。武力でもって弱国をねじ伏せるというような構造による「グローバリゼーション」なのかと考えてしまう。今日だと、今度は言論やふるまいによる駆け引きというのがものを言っているように思える。特に話し合いによる解決といったものが積極的に行われ、途上国間では戦争がおこなわれているとはいえ先進国では目立った戦争はほとんどない。そうなると「話し合い」や「競技による駆け引き」といったものが重視され、それに屈するかどうかのパワーゲームがあるという考えも可能である。

レッスン3「新たな社会モデルの模索」
では、新しい社会の在り方はどうなるのか。アメリカで活躍しているニュー・エコノミー(非物質的産業分野)が主役となるのではないかというのを本書では主張している。確かに昨今の「Web2.0」、その開発のほとんどがアメリカだということを考えると「形のないサービス」というに強みがある。ものも飽和化が進んできていることを考えると、新たな「サービス」というのに需要が増してくる。アメリカは斬新なものを作り上げやすい環境にあることから今日でも経済大国といわれ続けているのだろう。

「資本主義」に関して疑問を呈したり、もう廃れたのではないかという意見の本はここにきて非常に多く出回るようになった。昨年秋から始まった恐慌は長らく続いた資本主義に影を落としていったのは間違いない。しかし腐っても資本主義である。80年前の恐慌でも資本主義を否定し新しい「イデオロギー」ができたとしても「資本主義」は様々な変化を遂げながら維持し続けてきた経緯がある。
長く続くものは「ただ維持し続ける」のではなく、「変化をしながら維持し続ける」のである。