記憶 脳は「忘れる」ほど幸福になれる!

「記憶力」というのは生活全般でなくてはならないものである。当然記憶力があればある程良く、あらゆるもの(こと)を早く・長く記憶できるかという夢の研究もおこなわれているほどである。

しかし「完璧に記憶できる力」が身についたとしたら本当に幸せだろうか。私は「幸せではない」と答える。というのは記憶といっても言葉の意味を覚えることや幸せな出来事ならまだしも、不幸な出来事や今にも忘れたい出来事なども記憶に残ってしまい、その呪縛に苦しめられるからである。

それを解消するために人間には「忘れる」という力が備わっている。本書はその「忘れる」について着目している一冊である。

第一章「記憶とは何か?」
記憶というと、用語の意味や言葉の意味に絡んで記憶を植え付ける「意味記憶」、自身の体験、もしくは物語から受け付けられる「エピソード記憶」、イメージトレーニングや反復練習によって受け付けられる「非宣言的記憶」に分かれる。ここでは定義づけと役割といったところで、他の「記憶論」と何ら変わりがない。

第二章「スキルの記憶・学習のメカニズム」
ここでは「非宣言的記憶」に特化したところである。たとえば反復練習をするときに自然と型が身につく、すなわち体で覚えることによって身につけるというのが「非宣言的記憶」であり、「スキルの記憶」である。
これはスポーツに限らず楽器や学習でも同じことが言える。もっとも「記憶する」「覚える」というのが最も意識的になりやすいのもこれであるため本書ではここの記憶について強調されているのが窺える。

第三章「エピソード記憶と意味記憶は何のためにあるのか」
では、エピソード記憶と意味記憶は何のためにあるのだろうと考える。
ここからいよいよ本書の本題となる「忘れる」が入ってくる。
人の名前を思い出す、もしくはいろいろなシーンや意味について記憶したけれど忘れてしまうということを説明している。
私も記憶力に関してはあまり自信がない。
ただ悲観してしまっては本書の意味が成り立たない。本章には珠玉の言葉がある。
「記憶は忘れるためにある(p.168より)」
人間の記憶には限界がある。物事を記憶していくたびに何かを忘れておかなくてはいけないようにできている。

第四章「幸福と忘却の関係」
臼井由妃氏の「大きなゴミ箱を買いなさい」で言ったこと、養老孟司氏の「バカにならない読書術」と被るかもしれないが、一つ知っていく犠牲として一つ忘れるようにできている。
これを「知の循環」という。
一つ知ったら何か実践をするというのもまた「知る」ということの一つであるが、それを犠牲にするためには何を忘れるか、何をやめるかということを考える必要がある。
「知る」というのは未来永劫固定されているものではない。血の流れ、川の流れと同じく循環するものである。

「忘れる」というのが「悪」、もしくはそれに近いものとなってしまっている一般論であるが、本書はそれに一石投じたようなものであった。「忘れっぽい人」や「覚えられない人」、「よく忘れる人」という人は必ずいる。その人に勇気づけさせられ、記憶力のある人でも、「知る」「記憶する」というのは一体何なのかというのをあらためて考えさせられる絶好の1冊である。
「記憶力」ばかりに注力している人にはぜひ薦めたいものだ。