人は何を旅してきたか

「旅」というと自分自身憧れを感じることがある。
行ってみたいところがあるとすると、

野山獄跡松下村塾(山口県萩市)
殉国七士廟(愛知県)
知覧特攻平和会館(鹿児島県)

他にもいろいろあるが、時期が来れば旅をしようと考えている(その前にブログをどうしようかというのも考えていないが)。

さて本書は専修大学人文科学研究所創立40周年を記念して5日10講演の中から選りすぐりの講演を取り上げているモノである。ちなみにその10講演共通のテーマは本書のタイトルとなっている「旅」である。

1.「インド人の後を追う旅」
南アジア現代史の教授であり、特にインド史に詳しい内藤雅雄氏の「旅」は専攻のことあってかインドである。
ここではインド系移民の後を追う旅についてがテーマである。

2.「産業観光への誘い――物つくりの現場が名所になる時」
今度は専修大学130年史編集の主幹で元専修大教授の青木美智男氏が「旅」そのものの概念について日本近代史を元に迫ったものである。
日本近代史といっても江戸時代中〜後期に遡るが、それ以前の時代の「旅」と当時の「旅」の概念が違っていた時である。
それ以前の時代は交易などによる必要に迫られる旅が多かった。それは関所による関税の取り立てが厳しく容易に旅をすることができなかったのかもしれない。
しかし江戸時代の中〜後期に入ると交易よりも楽しみで旅をする人が増え、そこから「旅」にまつわる作品が出てき始めた。松尾芭蕉の「奥の細道」もその代表作と言えよう。

3.「近代日本の旅と旅行産業――JTBを中心として」
ここでは観光業界ではリーディングカンパニーとして有名なJTBを中心とした旅行産業の変遷についてである。ロマンや楽しさ、歴史あふれる「旅」を提供するのがこの旅行産業。ただこの旅行産業はどのような歴史を辿って行ったのかというのはなかなか気になるところである。
JTB(ジャパン・ツーリスト・ビューロー)が発足したのは1912年、今から約100年前にもなる(1963年までは「日本交通公社」としての任意団体、のちに財団法人だった)。当時は海外旅行よりも日本旅行を中心に、特に外国人向けの日本旅行をターゲットにしたものであった。戦争や国際間の緊張関係により客層が増減することもあったという。戦前には客船での世界一周旅行や、高度経済成長期での海外旅行についても紹介されている。
歴史とともに旅行のスタイルが変わっていったというのがよくわかるところである。

4.「日露戦争で死亡したロシア軍人の墓と記念碑を訪ねる旅」
「旅」をテーマにした講演集であるが、ここから少しとっつきにくくなる。というのは歴史の深い部分をつつくため、ある程度の知識がないと理解できないためである。
余談はここまでにしておいて、ここでは日露戦争で死亡したロシア軍人の墓や記念碑を訪れる旅と題して著者自らが日露戦争で亡くなったロシア人兵士の墓を元にして日本人による死者への供養の仕方と、「敵」を手厚く供養をすることによってどのような見返りをもくろんでいたのかということについて講演している。
政治的要素が強いと著者は主張しているが、青山をはじめとした外国人墓地が多数存在していること、怪談話で知られるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が「日本は死者の国である」のように、使者を供養することが宗教の垣根を越えて行われている文化という観点についてもっと重点的に着目すべきではと考える。

5.「自然に出会う旅――『ビーグル号航海記』に学ぶ風景発見の喜び」
ビーグル号航海記」は1825年から1843年までに3回南米やオーストラリアなどへ航海を行っており、2回目には進化論で有名なチャールズ・ダーウィンが乗り込み、病に倒れながらもガラパゴス諸島において進化論のヒントを得ることができたというものである。

「旅」というのは楽しみの旅から、歴史探訪、文化探訪をはじめ様々な形がある。本書の多くは歴史探訪というのが多かったが、歴史を深く知る、歴史の文献を検証するに当たり「旅」をすることにより、自らの目で確かめるというのもまた一興である。