ドイツ現代史の正しい見方

ドイツにまつわる歴史について様々な議論があり、日本における「歴史認識問題」とほぼ似ているような状況にある。第二次世界大戦が終焉して今年で64年を迎える今、20世紀のドイツの歴史についてどのようなものであったか、ドイツを代表する歴史著述家、セバスチャン・ハフナーが紐解いた一冊である。

第1章「ローマ帝国の巨大な遺産」
ローマ帝国が滅びた年は諸説が多いが、最も遅いもので1806年というのがある。ローマ帝国と言えば元首政治と言えわれ、国民の人権はあまり尊重されなかった。ドイツの歴史を語るにあたりローマ帝国が欠かせないように思えるのだが、これは一体何を意味しているのだろうか。

第2章「人工国家プロイセンの興亡」
ドイツにまつわる歴史の本丸はここから始まるといってもいいだろう。
ドイツ帝国の前身であったプロイセン王国は18世紀初頭に誕生し、19世紀後半にドイツ帝国となった。その間「軍隊が国家を保有していた」ように、軍事活動、いわゆる「戦争」などによって国土や国力を拡大していき、驚異的なスピードで大国となった。

第3章「ビスマルクのドイツ帝国建設」
ドイツ帝国を語る時は宰相ビスマルクなくして語れない。ビスマルクの外交政策は非常に巧みであり、仲の悪かった両国(イギリス・イタリア)とも友好的な関係を築き、さらに数多くの国々と国交を築くなどを行い、大国のひとつであったフランスを孤立化させた。
ビスマルクの外交戦術は伝説として語り継がれているが、ヴィルヘルム二世が皇帝についた時に対立してしまい、宰相を辞任してしまう。その後今までの友好関係が一気に崩れ、今度はドイツ帝国が孤立してしまい、第一次世界大戦に発展した。

第4章「セダンの勝利の呪縛」
「セダン」と言っても乗用車のセダンではない。「セダン」というのは、19世紀に起こった普仏戦争の中の「セダンの戦い」のことを言っている。この戦いはプロイセン(後のドイツ帝国)が勝利をおさめ、軍事的な強さをまざまざと見せつけた。しかしそれが軍事主義と言ったことにつながり、軍の強さに酔いしれてしまった呪縛になったのではないかというのが著者の意見である。

第5章「ヴェルサイユ条約の逆説」
今度は第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約について論じている。
ヴェルサイユ条約は敗戦国のドイツに対して賠償金、領土の割譲、軍縮といったものについて定められた条約であったが、平和が保証されるような条約ではなかったと指摘している。確かに軍縮は明記されているが、軍を撤廃するという明記はされていないところをみると微力化にしただけという感もある。

第6章「ヒトラーはなぜ権力を手にできたのか」
ヒトラーが総統の座に就くことのできた大きな理由として、1929年から始まった世界恐慌のどさくさによってというのが強い。イタリアのムッソリーニのようにクーデターによってというのもあるかも知れず、ヒトラーも一度だけクーデターを実行し失敗に終わっている。
しかしヒトラーが権力をもつことができたのはこういった時代に選挙という合法的な戦略を使い、ナチス党の議席数を大量に増やしたことによるところが強い。民意によって独裁者になったという方が適当であろう。

第7章「第二次世界大戦はいつはじまったのか」
第二次世界大戦がはじまったのはナチス・ドイツが不可侵と呼ばれたポーランドに侵攻したことによりはじまったとされているが、宣戦布告後も宥和政策を行っていた、もしくは宣戦布告は戦争開始と言えないと著者は指摘している。

第8章「ドイツはなぜ間違ったか」
ドイツの過ちについて書かれたところであるが、政治的な理性の無さというのを突いている。

第9章「ワイマール憲法が失敗してボン基本法が成功した理由」
ワイマール憲法の失敗とボン基本法の成功について書かれているが、「ボン基本法(ドイツ連邦共和国基本法)」は1949年に西ドイツで制定された憲法であり、日本国憲法と同じ時期に制定されたことから比較されやすい。

第10章「奇跡の老人アデナウアー」
アデナウアーは1951年から12年間西ドイツの初代首相として実権を握った。さらに1951年から5年間外相を兼任し、連合国であったフランスとの和解にこぎつけ国交を回復させたことでも知られる。戦争によって引き裂かれた国際関係の修復に尽力をする一方で、保守陣営からは「西側傾倒」と揶揄されるといった声も絶えなかった。

ドイツは第一次・第二次ともに敗戦を喫した唯一の国である。その傷跡から何度も立ち直り、今となってはヨーロッパを兼任するまでの国になった。
欧米列強にも果敢に追いつこうとしていた。その中で幾多の戦争を起こし、領土を勝ち取りながら成長をし続けた。この2つの理由からドイツを評価している国も少なくない。