知覧からの手紙

「知覧」
鹿児島にある年なのだが、ここには大東亜戦争の中でも「特攻」の記念館があるところでもある。その名も「知覧特攻記念会館」。特攻のために飛び立った兵士たちが家族や恋人、祖国・日本のためにあてた手紙や遺品、遺影、戦闘機と言ったものが展示されている。

当ブログや前身のブログでも「特攻」については何度か取り上げているが、本書はある特攻隊員が愛する恋人のためにあてた遺書に隠されたノンフィクションの物語である。

第一章「出会い――図書館から職場へ」
のちに特攻隊員となる男性(以下:彼)と女性との出会いは昭和16年の夏のことだった。夏休みのある日、図書館での出会いだったという。当時大学生であった。

第二章「覚悟――マフラーになりたい」
大学を繰り上げで卒業した彼は陸軍に入隊した。それから厳しい修行に耐え航空兵になった。
それからというもの、会う機会はあったが、だんだんその頻度が少なくなりだした。その時に女性が思ったのが「マフラーになりたい」ということだった。
航空兵は当然戦闘機に乗った空中戦が多い。空中なだけに気温は地上よりもずっと寒い。防寒のための装備は出来てはいるものの、もし首から寒さが入り、風邪をひき、戦闘どころではない状態になるのを心配してのことなのかもしれない、と同時に「いつもそばにいる」という表れなのかもしれない。

第三章「婚約――たった一晩の子守唄」
彼が婚約したのは昭和20年である。その前年に彼は特攻隊に指名された。
本章にも書いてあるが、なぜ結婚せずに婚約に終わったのだろうか。陸軍兵士が結婚をするためには陸軍の教育総監の許可が必要であったという。さらに当時の民法上では家父長の許可も必要であったため、今のように容易に結婚ができなかった時代であった。

第四章「特攻――あなたをめぐる旅」
「智恵子 会いたい、話したい、無性に(p.182より)」
他にもいろいろと遺して行った手紙であるが、この分を読んだ瞬間に思わず涙がこぼれ落ちた。還らぬ人になる、そう確信した時に彼は恋人に会いたい、でも日の丸のために俺は逝くんだ、闘うんだと叫んでいるような気がしてならなかった。

特攻兵たちの遺書に関する文献は非常に多いが、戦争と「恋愛」という2つの紡ぎだした実話は心打たれながらも、「戦争とは何か」「何のために戦ったのだろうか」という答えの一つを教えてくれる。
紛れもなく「特攻」というのは史上最悪、最低の作戦であった。人の生命を犠牲にさせながらその作戦の考案者は戦後も生きてきたのだから。しかし実際に特攻として戦った人たちは非難されるものではないと私は思う。祖国のため、家族のため、愛する人のために自らを犠牲にして戦い抜いてきたのだから…。