奇跡を起こした村のはなし

昨今の地域格差により、街の至る所で「シャッター街」というのができている。「シャッター街」というのはかつて商店街で賑わいを見せていたのだが、急速な過疎化、地域住民の老齢化に伴い閉店が続出したことによってできてきた。私の地元の旭川市でもちらほら出あるがシャッターが下ろされているところが出始めた。また大学時代住んでいた小樽でもある商店街では文字通り「シャッター街」となってしまった所もある。この光景を見ると地方は元気がなくなっているように思えてならない。

そんな中、本書で紹介されているのはある奇跡を起こした村を紹介している。豪雪や水害や過疎というような苦難が続いた中で農業を観光の中心地として息を吹き返した。その村とは新潟県北東部に位置し、山形県の県境に近い「黒川村」である。

1.「山あいの宿命」
この新潟県黒川村は2005年9月1日に市町村合併により「新潟県胎内市」となった。観光としては黒川村から引き継ぎ観光名所の開発が進められており、パラグライダーも名物の一つとして数えられている。自然に満ちた山あいの村であるが、中越地方で山村であるが故の宿命、それは「豪雪」であった。冬の時期は数メートルにも及ぶ雪が積もり、出稼ぎにも行けないほどにまでなったという。
その中でも冬を利用した観光を試行錯誤で見つける姿があった。

2.「村が流された!」
村が流されたと言われても想像できないのだが、1966〜67年の2年間集中豪雨に見舞われ河川が増水し、大洪水となった。新潟の名産の代表格に挙げられるコメもこの洪水で壊滅的な打撃を受けるほどであった。水害対策や復興に追われる日々でありながらも、村の発展にも尽力した。

3.「豊かさの意味」
「豊かさ」というのはつくづく思うのだが、高度経済成長期には「モノの豊かさ」が急速に進んだ時期であった。しかし首都圏では急速に発展したが、今日の「格差」というわけではないのだが、当時も地方と首都圏の差は激しく、観光事業、言わば「ハコモノ行政」のはじまりとなった。当時は観光名所や泊まり場も多く自然と戯れることを渇望していたのかどうかわからないが、この行政により当時の地方も首都圏の差を埋めることができ、活気づいていった時期でもあった。

4.「「魔物」から村を守る」
数々の箱モノ、すなわちリゾートホテルを乱立したことで当初は財政的にも潤った。その中でも村の戦いというのは続いていた。さてそれは何の戦いなのかというのが気になるところである。それは「地域振興補助金」の申請と用途に関して、国との駆け引き・サバイバルゲームがあったという。
現在でも地方行政が困窮している時代に、補助金引き下げへの抵抗というのを見せている地方自治体も少なくないところを考えると、「国 Vs 地方」という構図は今も昔も同じであると言える。

5.「本物をつくりたい!」
そんな裕福な時代もバブル崩壊とともに崩れ続けていった。言わば「失われた10年」のなかで多くのリゾートホテルは閉鎖され、地方は急速な過疎化に喘いでいった。その中でも奮闘は続き、リゾートから畜産や農業に観光をシフトしていっている。文字通り「試行錯誤」と言わんばかりにあれこれと様々なものを試して行った。

6.「このあとをだれが継ぐのか」
不況の波のなかでも安定した活気を見せた時、高度経済成長以降ずっと村長の座に座り続けた人は「後継者」というのを考えなくてはならなくなった。村の観光事業を維持しながらも発展に尽力できる尊重を探していた矢先、最初にも書いたのだが市町村合併により、黒川村は長い歴史に幕を下ろした。しかし村ならではの観光事業は現在も続いており、黒川村があったという名残は今もまだ残っている。

過疎化しており、疲弊状態にある地方の市町村。その中でも自身の村の特徴を生かしながら観光を手掛け、息を吹き返した記録がここにあるように思えてならない。財政的にも危機的状況にある市町村、もしくは都道府県と言うのは少なくなく、そういったことをやろうにもできないというのが実情である。その時だからでこそ、緊縮と言うよりも「ならでは」の事業を推し進めるべきではないだろうか。

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