蝶々は誰からの手紙

丸谷才一氏はエッセイや小説としては有名であるが、書評かとしての一面もある。毎日新聞の書評欄は長年丸谷氏、もしくはそれに関連する人たちの独擅場であるからだ。しかし私は、丸谷氏に関して名前でしか聞いたことが無く、ましてや書評でも有名だと言うことは知らなかった。「書評家失格」である。

本書は「私の本棚」や「週刊朝日」にてとりあげた書評についてまとめただけではなく、自らの書評観まで丸谷氏ワールド炸裂の一冊である。

Ⅰ.「書評ある人生」
ここでは、自らの書評観と、イギリスと日本における書評の違いについても細やかに説明されている。
もうすでに休刊になったのだが、オピニオン誌「論座」の2008年4月号に世界の書評について書かれていたことを思い出す。そのときは一つの文芸として成り立っており、日本の新聞や雑誌にある書評欄のように読書案内や簡素な感想ではなく、書かれている量も多い。言い回しや観点が非常に独特で、一つの「文芸作品」としての「書評」があるとしている。
私の書評観もよく似ており、読み手重視にこだわっておらず、むしろ自分がどのように感じたのかというのをありのまま表現する。
一つの「芸」としての書評というのを私は目標にしている。

Ⅱ.「書評78選」
丸谷氏が書かれた書評の中から78冊選んだ所である。現代の日本語のあり方に疑問を投げかけたエッセイ、「桜もさよならも日本語」というのが今から23年前に書かれているが、常に日本語のあり方を考え続けているような文章である。
日本語としての古きよき表現や言い回し、文体と言うのがそのまま「書かれている」と言うよりも「描かれている」という言い方が好ましいように思える。

Ⅲ.「推薦文そして後始末」
前半は推薦文をいくつか掲載している。ここでも「丸谷氏らしさ」というのが如実に現れている。
後半は「日本の歴史 01巻」の回収勧告に関してのお詫びについて書かれており、まさに「後始末」と言う言葉がよく似合うのかもしれない。

Ⅳ.「カリブ海からカール・マルクスまで」
ここは四方山話と言うべきだろうか。本に関しての雑記と言うようなものであった。

本書を読んで丸谷氏は「文章に恵まれている」、「文章という世界にきてよかった」と言うような印象だった。そして日本語として自らの信念を持って表現しているとも感じ取れた。
日本語の表現はひらがな、カタカナ、漢字があり文字1つできめ細やかな表現が可能である。丸谷氏はそれをほぼ完全に熟知していた。本書を読んでそう思えた。