資本主義のコスト

洋泉社様より献本御礼。
2008年10月の「リーマン・ショック」により、経済は世界的に減衰してしまった。今は落ち着きを取り戻し、景気も上向きになりつつあるのだがまだまだ油断できない状況である。この急激な景気後退により、「資本主義の崩壊」といった「資本主義」に関する本が続々と出てきており、資本主義の在り方と言うのが問われたのもこの時期である。この資本主義という言葉が用いられ始めたのは19世紀のころであるが、仕組み自体はそれ以前から存在した。ではこの資本主義の在り方として、本書では過去25年にわたる資本主義の現状と、それによって引き起こされた大小とは一体何なのかというのを考察しながら、08以後の経済再構築の案を提唱している。

第1部「金融市場と金融政策の焦点」
今回の景気後退の要因となった一つに「サブプライムローン」と言うのがある。家に対するローンのことであるが、もとを辿れば「金融商品」ということに変わりはない。ましてや「リーマン・ブラザーズ」も証券や投資業務を行っていた会社であるので、「金融」にもかかわっている。
日本でも、今から12年前に北海道拓殖銀行が破綻し、その後山一証券が倒産した。経緯は違うとはいえ、景気後退の引き金となったのは何かしら似ているところがある。
アメリカの話に戻すが、「サブプライム」などの金融商品によって焦げ付くまで、しばらくの間は景気が急激に上昇していた。そう、日本で起こったバブル景気のように。
資本主義はサブプライムローンのように競争という名の軋轢や摩擦によって成長を促し、経済を格段に増大させる力を持つ。反面崩れる時の規模は甚大なものとなる。景気は増大するにつれその度合いによってリスクは大きくなる。日本もアメリカもそれを学んだのかどうかは定かではないが。

第2部「1985〜2002年の経済的な経験」
ここからは80年代の話に移る。80年代の前半には厳しい景気後退が起こった。ちょうど日本ではバブルに入る手前であった。その後アメリカはデフレから脱却し、緩やかな成長を遂げるはずだったが、日本の成長度はアメリカのそれをはるかに上回り、日本の企業がアメリカの資産を買い占めるという事態になった。「ジャパン・バッシング」が最も加熱したのもちょうどその時期である。
経済で印象が強いのは87年の「ブラック・マンデー」である。ダウ平均株価は約23%もの大暴落となり、それに追随するかのように日経平均も約4,000円安という過去最大規模の下落となった。ただし、このことが経済的な衰退には至らなかったため、景気減退の起点とはならなかった。むしろ起点となったのは日本での「バブル崩壊」である。バブル崩壊により、日本の経済は低成長の時代に入った(むしろマイナス成長と言うべきか)。一方のアメリカでは、「ITバブル」と言うのが生まれたが、90年代後半に崩壊し、2000年代前半は世界的に経済が閉塞した時代とも言える。

第3章「新たな現実2007〜2008年」
だんだん経済が回復し、前述のようにアメリカでは住宅バブルにより、「経済大国」という名をさらに大きくさせた。しかし2007年夏ごろから「焦げ付き」問題が深刻化し、ご存じのとおり経済は下降の一途をたどった。ちなみにこの時期の前後にFRB(連邦準備制度理事会)の議長が長らく、アラン・グリーンスパンだったのがベン・バーナンキに代わった。グリーンスパンが議長として推し進めて行ったものの一つとして「住宅ローン」の水準緩和と言うのがある。つまり「サブプライムローン」を生み出した親と言ってもいいかもしれない。これについてはグリーンスパン批判について現在も、そしてこれからも検証され本は出続けることだろうが、それについての真相はグリーンスパンの心の中という他ない。

第4部「21世紀の経済理論を再構築せよ」
リーマン・ショックにより資本主義経済の信頼性が揺らいでいる今、どのようなことを打ち出して行けばいいのかというのはまだまだ議論されているところである。方やケインズ政策、方や緊縮政策など様々な意見がある。本章でも意見の一つとして、「リアル・ビジネス・サイクル」というのを提唱している。「リアル・ビジネス・サイクル(理論)」とは、
「景気変動は、市場の失敗ではなく、実際のショックによって引き起こされると考える理論(p.189より)」
経済学で言う「神の見えざる手」ではなく、企業の倒産や事件といった「ショック」によって経済は動くという。ではこの理論で経済を回復させるためには、心肺停止の患者に電気ショックを与えるような「ショック療法」と言うような方法をとるのだろうか。

「資本主義」による、「コスト」と言う名のリスクは日本での「バブル景気」・「失われた10年」、アメリカでの「住宅バブル」・「リーマン・ショック」からみても分かる。経済のコストは減らすことはできるものの「ゼロ」にはできない。ではこの「コスト」を効率よくヘッジしていけばいいのか、これは経済学と言う学問、ひいては人間が経済を営む限り永遠の課題としてのしかかる。それを考えるために経済学と言うのはあるのではないだろうか。