寿命はどこまで延ばせるか?

株式会社オトバンク 上田渉様より献本御礼
医療の進化が続く中で、平均寿命は延び、日本では男性が約78歳、女性は約84歳であるという。ここまで進化を遂げているが、これからの医療の進歩などにより、平均寿命が延びる可能性は高い。しかし私は平均寿命が延びる風潮はこれでいいのかという疑問はあるが、それに関しては、第5章でそのことについて書かれているところがあるので詳しく主張する。本書は技術の進歩によってどこまで平均寿命を延ばすことができるのかというのを考察した一冊である。

第1章「寿命の起源」
「寿命」がどのようにして生まれたのか。これは「神学」「哲学」というところから、「生物学」などの科学に至るまで長きにわたり考察を行ってきたたぐいであるが、未だに有力な「解」が見つかっておらず、「永遠の謎」ともいえる。
本書は寿命を「生物学」などの「科学」的な視点で考察している。代謝やタンパク質、DNAや細胞に至るまで考察を行っているが、アメーバやバクテリアが基本的に死なないことを考えると、寿命の根元となるものを見つけだすのは容易なことではないように思える。

第2章「生物にとって寿命とは何か」
前述のように生物における「寿命」は有限である生物と無限である生物が存在する。そのためか一概に定義をするのは難しい。
この「寿命」について本書では細胞とDNAについて論じている。生物といっても「単細胞生物」や「多細胞生物」といったものが存在するが、細胞分裂によって、死んだり、生殖したりする。その細胞の中にはDNAがあり、修復や増殖によって生殖を行っており、寿命にも密接に関係しているという。

第3章「ヒトの寿命は何で決まるのか」
いよいよ人の寿命のところに入っていく。人の寿命は有限であるが、その寿命はなにによって定められているのか、科学的な研究は数多くあるが、まだ結論に達していない。
本章では前章に引き続き細胞分裂について、そして生活習慣病の要因についても書かれており、科学でありながらも身近なところをついている。

第4章「人の寿命は延ばせるのか」
これまで寿命を延ばすための技術の進歩は医療など数多くの分野で行われ、日本は最初にも書かれているように長寿国となった。しかしそれだけでは飽きたらず「長寿になるには」ということは後を絶たない。それに関して大きな疑問は存在するのだが、それは次章にて。
本章ではガンの予防、活性酸素の制御など健康法を科学的見地から見ている。

第5章「長寿社会は善なのか」
ここでは科学論から一歩離れて社会論にも入る内容である。本章では、「もしも不老社会であったならば」という前提で考察を行っている。
遺伝情報から老化防止、そして人類至高の夢ともいわれる「不老不死」がもし実現したとしたら、社会はどのように変化をするのだろうかというシミュレーションを行っている。「不老不死」がかなったとしても、介護などの維持管理の費用が国家・家計共々膨大になり、定年が引き延ばされ、老害も横行するようになる…と考えると「不老不死」もいいことはないと思ってしまう。
ここでは社会論として捉えてきたのだが、私は少し角度を変えて「人生論」などのヒューマニズムに関して考察を行う。フィクションの作品からとるのもなんだがジョナサン・スウィフトの「ガリヴァー旅行記」を参考にする。この作品には不死人間「ズトラルドブラグ」が登場している。念のためいっておくが「ズトラルドブラグ」は「不死」なだけで、「不老」ではない。死なない代わりにいつまでも老い続けるという人物である。寿命が有限である人間にとっては理想的な存在なのだが、「ガリヴァー」では決してそうではなく、むしろ悲惨な人生であったという。彼らが住んでいるイギリスでは人権が守られるのは80年と一生涯ではない。つまり80年たったらもう、死んでいると扱われてしまうのである。生きながらえることによる苦しみもある。本章を読んで私はそう思った。

人の寿命を延ばす技術は進歩を続けている。元々縁起物でも「長寿」は宝としてあがめられていた時代があった。しかし、科学の進歩によってそれが現実味を帯びてきたとき、はたして人生とは何なのか、死とは何なのかというのを本当に考えなくてはならなくなる時代が必ずくる。本書は長寿化している今だからでこそ出るべくして出た一冊、と私は思った。