テレビは見てはいけない

本書のタイトルを見て「ドキッ!」とした方はどれくらいいるのだろうか。
今の私は特別なこと(とはいっても「F1」くらいしかないのだが)以外はTVを観ない。TVを観るよりも本を読んだり、ネットサーフィンしたりしている方が好きだからである。もっともTVも最近はあまり面白い番組がないことも理由の一つとして挙げられるが。
ふと時間が空くと必ずTVを観るという人は今も昔も少なからずいるだろう。しかしTVは非常に恐ろしいものであることを本書は語っている。

第1章「テレビを見てはいけない」
テレビ業界ほど、良い意味でも悪い意味でも不思議な業界は存在しない。現在の状況を言うと在京キー局は軒並み業績不振に陥り、とりわけTBSでは開局以来初となる赤字に転落した。視聴率でも特に苦しんでいる局であり、番組編成や出演者の起用などでコラムに掲載され大騒ぎになるほどである。
しかしテレビ業界は広告収入以外にも収入源が存在する。番組におけるグッズやDVDの販売の収入、さらには不動産や建物の家賃収入もある。
さらにいうと、この業界は新規参入の壁が厚いことでも有名である。というのは電波の管轄が総務省にあり、そこの認可を受けないと参入できない。認可を受けるためにも膨大な書類が必要であるため新規参入が難しい要因とされている。

第2章「脱・奴隷の生き方」
テレビは自分の知らない間に奴隷にさせる力を持っているという。しかも当の本人はテレビに隷属されていることに気づかないのだからなお恐ろしい。
さて、本章ではそのような隷属状態からの予防法・脱出法というのを紹介している。自己満足せず、自分を過小評価せず、目標を決めて邁進するというものなどが挙げられている。

第3章「日本人はなぜお金にだまされやすいのか。」
金は時として人生に恵みを与えられる。しかし時として隷属の輩となる。
私自身お金に考える時、つくづくそう思ってしまう。
特に他人のお金を使う場合は油断してしまうと後者になってしまう。何が言いたいのかと言うと、現在、国の借金は約900兆円にのぼる。雪だるま式に膨らんだ理由として公共投資の過剰化が挙げられる。先程述べたそのことがそうさせてしまったのかもしれない。
本章では他に「差別」の心理についても書かれているが、人種差別や部落差別ではなく「KY」、すなわち「空気」における差別を取り上げているところが印象的である。

私たちの生活の中で、私たちの知らないところで「洗脳」されている。テレビのように私たちが気づかず、さらに洗脳されていることに気づかないことだと非常に厄介である。
ありとあらゆる「洗脳」という呪縛からいかにして気づき、解き放つべきなのか、本書にはその一助が隠されている。