人生の短さについて

セネカはローマ帝国のユリウス・クラウディウス朝に生きた哲学者であり、政治家であった。セネカの生きた時代はちょうど紀元に当たる年であり、ちょうどローマ帝国が「パクス・ロマーナ」と呼ばれるほど覇権を手にしていた時である。

セネカはそのローマ帝国内で皇帝ネロのバックボーンとして活躍をしたが、晩年は様々な疑惑にかけられ引退の身となった。本書は政界から引退し、文筆業に精を出していた時に書かれた一冊である。同時期に書かれたものはいずれも「〜について」と言われ、哲学的な随筆作品が残されている。一方でセネカは悲劇作品も10作発表しているが、偽作である作品、偽作と疑われている作品も存在する。

本書は「人生の短さ」であるが、今や高齢者社会となり、日本人の寿命は世界的にも長い。しかしそうであればあるほど、「時」が経つこと、やがて来る「死」への恐れがやってくる。寿命は長くなっているとはいえ、人生は有限であり、気化つけば短いものだと知る。しかしその時間を有効に使うにはどうしたらいいのか、おそらく永遠の課題と言える。
最近では「時間管理術」のビジネス書がわんさかあるが、2000年もの過去からそれを真っ向から批判する人は今までにいたのだろうかと本書を読んで錯覚してしまう。

多忙であればあるほど、生きるために大切なことについて学ぶことを忘れてしまう。
他人に奪われているのを気付かずに時は過ぎて行く。
自由である、「悠々自適である」と錯覚されて、時間は奪われていく。
多忙であれば、自由な時間を得ることを求める。しかしその自由な時間を悠々と過ごしているほど時間を奪われてしまう。

ではどうしたらいいのか、と思ってしまう。セネカはこう主張している。

「万人のうち哲学に時間を割く人間だけが、
 悠々自適する、真に生きる人間なのです。」
(p.118より)

哲学を学ぶことであるという。
人は誰しも何のために生きるのか、誰のために生きるのか、いかに死ぬかをふと考えたことがあるだろう。哲学のなかには生きる喜びや、善く生きるためのヒントというのがたくさん隠されている。文学、化学、数学、歴史学など様々な学問があるのだが、哲学はそれらの学問の根源に位置づけられる。とはいっても、様々な哲学書を読むというと肩が凝る。しかし一つだけ方残らない方法がある。ちょっと危険な方法かもしれないが、何も考えずそのまま読み流せばいい。哲学は考えれば考えるほどまだら蜘蛛糸のように思考ががんじがらめになりやすい。それを回避するために哲学書は読み流すという方が私は適していると思う。
「時」を支配するのではなく、「時」といかに生きるかを考えさせられる一冊であった。