君も精神科医にならないか

著者の熊木様より献本御礼。
「21世紀は「心の世紀」である」と何度行ったのだろう。
モノの豊かさによって測られていた20世紀から、モノの多様化となり、多様な商品の中から自分に合ったものを探すことによって心が満たされる。急激に経済が成長してきた犠牲、すなわち「心の犠牲」を取り戻そうとする世紀のことを指している。

しかし昨今の事情ではうつ病など心や精神に関する病が急増している事実がある。殺人は増えたり減ったりしているが、その要因が精神的なものにまつわることもある。ちなみに後者は「犯罪精神医学」と呼ばれるもので、「精神科医」について取り上げる本書ではそれほど扱わない。むしろ全般的な「精神医学」と「精神科医」の在り方を紹介しながらも精神科医はどのような仕事を行っているのかについて現役精神科医が編集者との対談形式にてまとめた一冊である。

第一章「精神科臨床の「場」に来ないか」
著者が精神科医を志したきっかけ、精神科医の現場、精神科医として必要なことがここでは話されている。医者というと、様々研究(臨床研究も含む)や、文献を読みあさることがあるのだが、精神科医は患者の数だけケースは多様に存在する。それを見極めていきながらも、治療を行う空間を作り、行っていくには現場(臨床)によってでしかできないと語っている。

第二章「精神科医はどんなことを考えているんだろう」
精神科医の役割は、精神的な病を直す、あるいは和らげるといったところにある。
どの症状にあるのか、もしくは患者はどのような治療が望まれるのか、数多くの経験を駆使しながら、冷静に俯瞰する。いわば「鳥の目」の如く見極める目が必要と著者は語っている。

第三章「治療はどのように展開するんだろう」
治療は大きく分かれて2つ存在する。一つはコミュニケーションを繰り返しながら行う「対話療法」、もう一つはうつを抑える薬を投与するなどの「薬事療法」に分かれる。本書の最初では著者の大胆な治療が取り上げられており、度肝を抜いた。患者のためにこれだけの行動を行える医師は私はあまりみたことがない。
さらに精神科ならではの悩みと修羅場も取り上げられている。モンスター・ペイシェントのことを思い出すのだが、それを取り上げられる度に医師の方々も方の狭い思いをしているのだろうか。

第四章「「専門家」になるとはどういうことだろう」
「専門家」というと様々なものが存在しているが、ここでは専門性を持つためには、さらに著者なりの実践例について書かれている。

第五章「症例検討会をのぞいてみよう」
精神的な病というだけでも非常に多様なケースが存在するという。そこで精神科医どうしが互いに情報を共有することによって多様なケースに備えようという勉強会「症例検討会」というのがある。精神科医は細かな症例を学ぶために定期・不定期問わず様々な勉強会を開いたり参加したりして、治療に備えるのも仕事の一つとして挙げている。

第六章「言葉は精神科医のメスだ」
なかなか深い言葉である。言葉ほど鋭利な刃物はなく、時には治療にもなり、時には人(人格)を殺しかねないものにもなるからである。
精神科医は治療をするためにも言葉の使い方、選び方に細心の注意を払っているだけに、病気に対する知識ばかりではなく、様々なところにも目を向けていく必要があるというのが本章をみてもよくわかる。

第七章「「薬」を恐れ、「身体」を畏れよ」
この章題は見事に的を射ていると私自身勝手に思う。というのは、時間も無く、休む暇もない日本人は少しの病でも薬に頼ろうとする。しかし海外に目を向けると、どちらかというと薬に頼らず、ゆっくり安静をする、この時期であり、かつ不謹慎な話であるが、アメリカでは「インフルエンザ・パーティー」と称してインフルエンザを意図的にかかって、免疫を作ろうというのが存在するという。人間に備わっている身体の神秘を最大限に利用したほうが、薬に頼るよりも確実に治療できる。
精神科医は、「薬」と「コミュニケーション」を織り交ぜながら患者に治療を行っているが、とくに本章では「薬事処方」の行い方について、そして薬の見極め方というのを精神科医の観点からどのように考えているのかについて書かれている。

精神科医の仕事の中身は正直言って余りよくわからなかったが、本書を読んでいくと、どのように治療が行われていくのか、治療以外の仕事についても垣間見ることができた。精神科医について興味を示したとき、精神科医はどのような仕事をやっているのか知りたい人にとってはこれ以上ない一冊と言える。

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