ココ・シャネルという生き方

もうすでに代表ブランドとして有名な「シャネル」。それを作ったのがガブリエル・ボヌール・シャネル、通称「ココ・シャネル」である。シャネルのことについて書かれている本は、ブランド、シャネル自身の生涯、シャネルの深層を暴くものなど数多くあげられる。またシャネルに関する映画は一昨年でアメリカが、昨年ではフランス・ロシアで公開された。また演劇でも昨年大地真央が主役となって演じたものがある。1910年にパリのカンボン通りに「シャネル・モード」の帽子専門店が開店した。これが「シャネル」のブランドが誕生したと言われており、昨年100周年という節目を迎えることとなる。映画や演劇など数多く公開される理由はそこにあるのだろう。

本書はシャネルの生涯を「女性としての生き方」「女性としての在り方」をとらえながら、シャネルからのメッセージを基に紐解いていく一冊である。

第1章「自分が何者なのか決意しなさい」
自分は自分自身の人生が気に入らない、だから自分で人生を作り上げていこうと思った少女時代。そして傲慢になったという。

第2章「自分の実力は自分で決めなさい」
シャネルがブランドの原点となった帽子のアトリエを開いた。1908年の話である。そのときシャネルは自分に言われたことを信じようとせず、自分自身の目・手・足で確認をしなければ納得をしない性格であった。

第3章「女の才能を伸ばす男を選びなさい」
シャネルは26歳の時、最愛の男性との出会いによって、ブランドの根幹を築き上げた。それと同時に「愛」を学んだ。

第4章「髪を切りなさい」
最愛の男が別の女性と結婚すると告げられた時、シャネルは髪をばっさりと切った。「女性が髪をばっさりと切る」時は、知っている限りで言うと、大失恋など様々な理由により、「気持ちを変える」という考えから出てくるのかもしれない。

第5章「女友達と喧嘩しなさい」
最愛の男性の死後、最悪の状態にあったシャネルを救ったのは女友達の喧嘩であったという。

第6章「香水をつけなさい」
シャネルは香水でも成功したことは有名であるが、とりわけ「No.5」は革命的と言われてるものであり、マリリン・モンローをはじめとした女性有名人の多くに愛される存在にまでなった。

第7章「お金を使いながら裕福になりなさい」
「お金はツール」ということをいったことがある。本章ではシャネルが数々の芸術家に対して経済的な援助を行った話などがある。

第8章「真似されたら喜びなさい」
誰しも仕事や芸は「学ぶ」ことから始まることはすくなく、「真似る」を加えて「まねぶ」ことが多い。
さて、自分の仕事・行動が人から真似をされたらあなたはどう受け止めるだろうか。私は本章と同じく喜びとし、誇りに思う。

第9章「ノンと言いなさい」
確か、日本人は「イエスマン」と呼ばれていることをある本で読んだことがある。相手がこうだと言うが、自分は「ノー」と言ったらはじめて「友達」という言葉を使ったのだという。
本章を読んでそのことを思い出さずにはいられなかった。

第10章「官能に従いなさい」
シャネルは50歳になって、またも恋人ができ、情熱かつ官能的な関係にあったという。女性は何十からという言葉があったのだが、まさにそうだなと思わせる章であった。

第11章「沈黙して時を待ちなさい」
ここではまさに「激動」と呼ばれるような日々であった、恋人の死、社員のストライキ、そして第二次世界大戦と短い章であるが数十ページを読んだような感覚であった。

第12章「退屈より大失敗を選びなさい」
シャネルは70歳を超えて再び現役にカムバックした。しかしコレクションは大失敗し、非難の嵐に見舞われたという。しかしシャネルはその中でもがき苦しみながら、学びを得ていた。

第13章「嫌悪の精神を持ちなさい」
シャネルは自分自身のスタイルを持っており、気に入らないものは激しく嫌悪したという。

第14章「愛されなさい」
シャネルは70歳でカムバックをしてから亡くなるまで現役を続け、がむしゃらに働いたという。散々たる酷評の中でもがきながらも愛され続けた存在は、現在もブランドとして愛されている。

シャネルの印象を本章で読んだ限りで言うと、我儘でこだわりが強いが、自分のスタイルを築くためにひたむきにもがき、そして愛し、愛される存在であった。そして第14章にも書かれているがこれからも彼女の名前とブランドは愛され続けている。そう、自分のこだわりと、スタイルと、男性を愛したように…。