数学力は国語力

一見不思議に思えるタイトルであるが、実際に考えてみると含蓄がつく。
国語において「論理的」というのは、元々数学における「論理数学」からきている。公式における証明について、様々な式をもって成り立つことを「論理」でもって明確にしなければならない。「論理的に話す」ことについても、数字や固有名詞などを入れることによって説得力が増すと言われているが、それと通底するものがあるかもしれない。
本書は国語においてどのように数学を使えばいいのかと言うことを、コミュニケーション論の教授の立場からあかしている。

オリエンテーション「目からうろこ/数学的モードチェンジのすすめ」
数学というと数と論理に支配されていることにより、冷淡な印象を持つ人も多いことである。しかし4年前に大ヒットした「国家の品格」の著者である藤原正彦氏も本来は数学者である。
論理的なことを話すうえで最初に大事なものは、話し方を組み立てるのではない。むしろ心揺さぶられるフレーズや言葉がなければ論理は「単なる積み木の山」でしかない。
心揺さぶられるフレーズや言葉に添えられ、そしてそれの言葉を強固なものにしていくために論理がある。論理は「添え物」ではあるが、言葉を増長させる上で最も大事な方法と言える。

第一講「数学的な問題管理/空白を埋める新発送の産婆術」
数学の問題は何も数ばかりではない。三角形や四角形といった平面図、円錐や三角柱などといった立体図、さらには直線や放物線といった関数などのグラフを証明するものもある。簡単言えば図や表にすることによって問題を解きやすくするようなもの、「図解思考」というものであるが、本章ではそれを説明している。自分の考えていること、そして様々な情報を図解化することによって、複雑になっていた思考や情報を概略化することができる。

第二講「関数的な構想力/見通すための欠かせない二つの「f」」
数学的なものには「関数」というのがある。直線や放物線などで引かれている線があると考えれば、少なからず数学を勉強をしてきた方であれば誰でもわかる。これを国語としてどのように当てはめていくのか不思議になるが、簡単に言えば「ジョバリの窓」や「マトリックス」というのを思い浮かべればおのずとわかる。物事の良い悪い、速い遅い、易い難いなどお互い相反するものをマトリックスにして、どのようなことを連想するのかを一目瞭然にした形で纏めることができる。

第三講「試験を離れた数学的発想/直感、ひらめき、別解、補助線」
数学の授業でも、簡単な解き方や公式、思いもよらない発想の仕方というも教えられることがある。数学にある本来の「最適」な考え方というのがそれである。これを国語における冗長的なもの、例えば散文やレトリックなど「論理」とはかけ離れたものからいかにそぎ落として、最適な文章や考え方、ストーリーを構築していけばいいのかについて書かれている。

第四講「数学的な発想の展開/国語の力と結びつけるために」
数字は論理的な説明の上で大事なものであり、何よりも説得力を持つ。ギリシャ人が数学を用いて凄味を定義したり、数学を用いてコミュニケーションをどのようにしていくのかについて記されている。

第四講にも書いてあったが古代ギリシャでは哲学や数学は理系や文系という区別がなかった。むしろ数学なのか、哲学なのかと区別がつかないほど学問同士でつながりを持っている。数学は国語でもあり哲学でもある、という考えは間違いはない。国語力を鍛えたい場合は国語ばかりではなく、数学にも目を向けてみると思いもよらないヒントが隠されている。本書はそれを教えてくれる。

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