ネパール王制解体―国王と民衆の確執が生んだマオイスト

先進国では「民主主義」の国家が当たり前の如くある。とはいえ中国の様に共産党独裁政治を張っている国もあれば、一党、もしくは個人のみの独裁国家というのは世界でおよそ100ヶ国も存在する。それらは発展途上の小さな国家であり、独裁政治の中で苦しめられ続けている国民も少なくない。ネパールも王室独裁が続いた国家であるが、2006年春に起こった「4月革命」によって民主化に向けて動き始めた。そして2008年に初めて議会選挙が行われたが、守旧勢力が隆盛していることにより、現在に至っても混沌とした状態が続いている。本書は王族の圧政に苦しめられてきた国民が「マオイスト」という組織が誕生し、革命をもたらすまでのプロセスについて迫った一冊である。

第一章「二一世紀のマオイスト」
「マオイスト」とはネパールの主権を国民に戻す武装勢力を総称して呼ばれており、20世紀の終わりに誕生した。「取り戻す」という記述があったのだが、過去に何度か主権が国民に移った経緯があった。2006年以前で新しいところでは1990年に遡る。そのときは複数の党が連立して政治を行っていたのだが議会にある政党の対立や軋轢によって民主化を進めることに失敗した。ましてや政治家と武装勢力、国王と3すくみの対立という構図が成立したことによって絶望視した国民も少なくなかった。2002年に王政統治が復活した。
本章では「マオイスト」をもう少し深く定義づけている。正式な呼び名は「ネパール共産党毛沢東主義派」と言い、民主主義ではなく、マオイストを中心とした共産主義政治を根ざすのが目的であった。最初に言った「国民主権」というのは名ばかりで、本当は「マオイスト主権」を目指したかったと言っても過言ではない。

第二章「なぜマオイストが生まれたのか――民衆と国家との確執の歴史」
ちょっとここで関連づけてしまうのだが、マオイストと日本における「60年安保」と関連があると考えられる。どちらも「アカ」とも呼ばれる共産主義であること、もう一つは学生主導であることが挙げられる。しかし日本におけるそれとマオイストとは決定的な違いがある。それはマオイストは反抗的な勢力であれば殺人をしてもかまわないと言うことにある。現に選挙妨害をするために殺人を行った例も本章では紹介している。

第三章「ネパールの近代化を阻んだ国王たち」
政治家とマオイスト、そして国王たちの3すくみとなる権力争いの構図を見せるが、国王側は絶対王制を敷き、完全なる権力の掌握を目論んだ。実際に国王側がクーデターを起こし、実権を議会から奪取した。しかし国王側もスキャンダルやカネの問題で政治家やマオイストなどから非難を浴びた。

第四章「王政からの脱却」
ここでは2005年から2006年の4月革命までの1年間についてネパールの内情とともに表わしている。2005年2月までは議会や内閣が機能されていたのだが、国王の命令により絶対君主制が再び導入され、非常事態宣言が出された(4月に解除)。事実上の独裁政治となった。それまで政党とも対立をしていたマオイストが次第に距離を縮めていき、12月に和解。共に独裁政治をたおることで結託した。
そして2006年4月、民主化運動が各地で起こり、その広がりを見た国王が直接統治を断念する宣言を発表した。事実上の絶対王政が廃止された(なお王制は2008年5月に廃止された)。

その後2008年に初めて議会選挙、及び大統領選挙が行われ、本格的に民主政治がスタートを切った。
ネパールは民主国家の構築に向けて試行錯誤の状態が続いている。それまでは絶対王政の時代がずっと続いていたため民主主義国家の経験が少ないことも要因とされている。しかし長きにわたる絶対王政から国民の力で民主国家となったという所は日本も見習うべきところがあるのかもしれない。

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