天皇霊と皇位継承儀礼

皇室典範問題は秋篠宮親王から悠人親王がご誕生したことにより、TVや新聞などのメディアでは取り上げられる機会が少なくなったのだが、近年では愛子様の問題もあり皇室問題が再燃化している。また漫画家の小林よしのり氏が「ゴーマニズム宣言 天皇論」を刊行したことにより皇室典範にまつわる議論が活発化した。民主党主権内では普天間基地問題、さらには予算などにより皇室典範が二の次におかれているような状況に陥っている。解決のための段階は非常に険しいが、結論を出さねばならないタイムリミットが刻々と迫っていることを忘れてはならない。
さて本書で取り上げるのは「天皇霊」という一見不思議な言葉であるが、元々天皇は神道上において「神」の存在であり、天皇が崩御されたときに伊勢神宮に奉られる。ではこの「天皇霊」がいつ頃言われ始めたのだろうか、その本質とは何なのだろうかについて迫っている。

第一章「折口信夫と天皇霊」
折口信夫といえば柳田国男と並んで代表される民俗学者である。折口は「天皇霊」について言及し始めたのは「小栗判官」のことについてふれたこと頃からである。大正15年に「小栗外伝」を刊行した前後のことである。関連性が薄いように思えるのだが、実はこの「小栗判官」の説教節から出てくる古代の観念を研究していく中で折口の半生と重なりあい、偶然の産物のように大嘗祭の信仰について見通したと言われているがその所以については不明である。
天皇霊と大嘗祭の二つの関連性について言及しているのは他にも聖婚儀礼というのがあるからであると折口は指摘している。天皇霊の信仰が大嘗祭であれば、その大嘗祭が復活の神事とともに聖婚儀礼があったとしている。では「聖婚儀礼」とは何か、そしてなぜ大嘗祭と聖婚儀礼に関連しているのか。
まず前者であるが、巫女の話からしなければならない。現在ではアルバイトなど比較的簡単になることができる(またコスプレでも人気である)。しかし本来はなるには容易なものではなく、一つは自ら天皇に身を捧げることを誓えること、そしてもう一つは処女であることとしている。これは神とともにするという誓いのために、他の男性と交わることを堅く禁じたという証である。つまり「神の嫁」となる証が処女というわけである。聖婚儀礼はそれを証明するために褌(みづのをひも)と羽衣を身に纏い、禊の聖水に浸かり神への愛を誓うという儀式である。
後者であるが、前者と関連して、「神の復活」を意味していることから「神の復活と婚礼」ということを目的としたのが大嘗祭と折口は分析している。

第二章「天皇霊の本義」
ここでは日本書紀に書かれている「天皇霊」について書かれている。しかし当の「日本書紀」では「天皇霊」と言う言葉が記述されている箇所は一箇所しかない(それ以外にも似た言葉で「天皇之霊」などがある)。
記述は少ないものの天皇・皇族・臣下の三つに分けて天皇霊のあり方がどのようなものかについて分析している。

第三章「天皇霊と神器の継承」
「神器」といってもテレビ、冷蔵庫、洗濯機ではない。

・八咫鏡(やたのかがみ)
・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
・天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ、別名「草薙剣」とも呼ばれている)

のことを言っている。日本古来から伝わる神話の中で醸成され、現在では天皇家代々の宝物としているのだが、現存しているのか、すでに消失したのかについては議論が続いている。「三種の神器」が天皇家代々伝わる宝物としてあるとするならば、「天皇霊」と「三種の神器」は切っても切れないものである。
民俗学のみならず、日本書紀まで言及しており、結構読み応えのある一冊である。ただし本書は天皇論のことについては触れられてはおらず、あくまで「天皇霊」としての議論について考察を行っている一冊である。