スポーツ観戦学―熱狂のステージの構造と意味

今年の2月にはバンクーバーオリンピック、6月には南アフリカでサッカーワールドカップが行われる。例年行われるプロ野球のレギュラーシーズン、さらにはサッカーのJリーグ、F1グランプリなど観戦できる機会は数多くある。

今となっては一般化している「スポーツ観戦」が果たしてどのような役割を担っているのか、そしてそのスポーツ観戦がこれからどのような道を辿るべきなのか、その道標といわれるのがこの「スポーツ観戦学」という学問に込められているのかもしれない。

Ⅰ.「スポーツ観戦の場所」
本章と次章ではおもにサッカースタジアムを中心に取り上げている。「観戦の場所」を考察する観点から格好の競技といえる。その大きな要因として普段使うサッカーグラウンドとさらにはアマチュアサッカーでよく使われる競技場、そしてプロサッカーで使われる場所の違いについて、場所の役割が大きく違ってくるのである。もっというと高校においてサッカーというと国立競技場など競技の代名詞といえる場所など、一つのショー、物語、そして戦いをみることができる空間の礎が構築される。

Ⅱ.「生活のなかのスポーツ観戦」
趣味が「サッカー観戦」という人もいれば、私のように「F1観戦」と観戦をするという一つの所作が生活の一部にしみ込まれている。昔からあるものでは仕事から帰ってきたお父さんがビールとつまみを味わいながらプロ野球のナイター中継を観戦するということも一般的であった。
またサポーターとしてのファンも、試合がある日は家族、もしくは一人で会場へ足を運び、その場の臨場感を味わうという人もいる。
スポーツはそれを行う人ばかりではなく、協議をする人とは全く関係のない人たちにとっても重要な位置を占めていることがよくわかる。

Ⅲ.「メディアとスポーツ観戦」
最初にも書いたとおり、スポーツ観戦は会場に赴くことだけではなく、TV中継を見て観戦をするということも増えた。TVが誕生し、プロ野球やプロレスの中継が開始され始めてから50年経とうか、というところにあるのだが、スポーツのヴァリエーションも増え、それと同時に中継される競技も増えていった。個人の嗜好が多様化したように、スポーツ観戦の嗜好も多様化していった。今では地上波のほかに衛星放送も含めるとほとんどの競技はTVで観戦できるようになっている。

Ⅳ.「女性及び障がい者とスポーツ観戦」
女性と障害者とスポーツについてであるが、とりわけ女性のスポーツはゴルフ然り、フィギュアスケート然り、最近では野球然りと、よりどりみどりである。女性アスリートの人気もあってかスポーツニュースに限らず他の番組にも引っ張りだこと言われているから女性アスリートの人気がうかがえる。それだけではなく「女性に人気」ということで、来年プロ野球に行くだろうという「ハンカチ王子」、史上最年少で賞金王になった「ハニカミ王子」と色々な選手に「王子」とつけられている。
そしてもう一つは障害者。本章ではパラリンピックについて取り上げられているが、ちょうど今年はバンクーバーでパラリンピックがあった。その中でも日本人の活躍した。

Ⅴ.「スポーツ観戦の哲学と政治学」
「スポーツに政治はいらない」
これはどの競技にも言えることであるが、黒人差別が罷り通っていた時代のオリンピック、1968年のメキシコオリンピックで黒人の短距離ランナーが金・銅メダルを剥奪されたという事件が起こっている(ブラックパワー・サリュート)。それだけではない。日本でも2004年と2008年のアジアカップの中国戦にて日本人選手に向かって反日の暴動を起こしたということもある。
別に国と国との政治というだけではない。野球やサッカーなどといった団体スポーツも実力だけではなく、「政治力」というのが少なからずある。スポーツは実力で持って争われるが、団体競技になると全員が世界クラスの天才を集めても、結局チームがバラバラになってしまえば勝てる試合も勝てなくなってしまう。そういう意味ではある種の「政治力」があることは致し方ない。

普段ごく当たり前に行う「スポーツ観戦」も角度を変えてみると政治や社会そのものが見えてくる。本書はスポーツを社会的な観点で、学問として体系化した。スポーツそのものの観点で本書は読みづらいが、スポーツについて、一つ角度を変えてみるとこのように見ることができる。本書はそのことを教えてくれるのではないかと考える。